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私も赤ちゃんも夫も、みんな揃って「生還」!! 痛みを忘れられそうにない、臨死体験27時間

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35歳にして初めての出産。

その実態は、一言でいうと「臨死体験」でした。

 

当初はゆっくりと始まった私の出産。

予定日前にいわゆる「おしるし」があったものの、予定日に合わせて立ち会い予定の夫が里帰り先に合流しても、陣痛が来る気配はなし。

予定日過ぎの健診で「子宮口が2センチくらい開いてますね、時間がかかりそうですね~」と言われ、そのまま2日、3日と時間が過ぎていきました。

このまま陣痛が来ないようなら、週明けに入院して処置を考えましょう、となった週末の夜のこと。

今までより強い、かな?と思える痛みが断続的に続き、夜明けと共に入院することに。

荷物を抱えた夫と陣痛室に入るときには、いよいよか……と緊張もMAX。

が、ここからが更に長かった……入院時には3センチと言われた子宮口は半日待ってもなかなか開かず、陣痛の間隔も伸びたり縮んだり。

自己申告だけでは心許ないと思われたのか、途中からおなかにモニターをつけっぱなしにして、1時間おきに看護師さんが確認に来るような状態で、夜を迎えてしまったのです。

 

本番の陣痛なのか前駆陣痛なのか判断はつかないものの、確実に痛いおなかを抱え、ベッドで寝ていることしかできない私。

夫の滞在期間は週明けまでと決まっていたので、もし今日の夜もこんな感じだったら立ち会いはあきらめようね、と話していたのですが、夜も深まり日付が変わる頃に、看護師さんから思わぬ言葉が。

「モニターで赤ちゃんの心音が拾えなくて、どうなっているのかよくわからないのよね。分娩台の方で朝まで様子を見ましょうか」

ナースセンターでモニターを見ていた先生の指示、ということで、慌てて分娩室へ。

お腹は痛いものの、普通に立って歩ける程度だった私は、夫はこのベッドのない部屋で朝まで寝られないんだなあ、と思ったことを覚えています。

 

ところが、いざ分娩台に乗ってみると、子宮口は8センチまで開き、全開までもう少し。

しかも、実はもう破水していて、子宮の中の羊水が足りず、赤ちゃんがかなり苦しい態勢になっているのでモニターでうまく拾えないということが判明したのです。

臍の緒を首に巻いて小さくなっている赤ちゃんの状態を把握するには、私自身は仰向けの姿勢を維持したままモニターをつけるしかない、という指示に、初めは「赤ちゃんが無事に出てこられるようにがんばろう!」と思えたのですが……

だんだん強くなってくるおなかの痛みに体を丸めることもできず、まっすぐ上を向いて耐えるしかない状況で、子宮口は9センチから先に進まず、2時間、3時間……断続的に襲ってくる陣痛に、しまいには両手両足を突っ張り、腰を浮かせた海老反りになってなんとかやり過ごそうとする私と、看護師さんの指導を受けてひたすら私の腰骨のあたりをさすり続け、なんとか痛みを和らげようとする夫。

気がつけば真っ暗だった分娩室の窓に朝日が差し、夜が明けようとしていました。

 

羊水が足りないせいなのか、腹筋をえぐられるようなゴリゴリした痛みは増していくばかり、突っ張りすぎて手足の筋肉も限界。

看護師さんには「痛みが来たら鼻からゆっくり息を吸って、ゆっくり吐いて!」と言われていたのですが、痛くて呼吸どころではありませんでした。

いつ終わるとも知れない痛みに、途中で酸欠になりかけて酸素マスクを装着。

寝ていないこともあって、痛みの合間にふーっと意識が遠くなり、脈絡のない夢をいくつか見ていた気がします。

同じく一睡もせず、立ちっぱなしで付き添っている夫は、「痛い!」と声を上げながら海老反ったかと思えば急にぐったり白目を剥いて、酸素マスクの中でなにかブツブツ呟いている私を見ながら、「この人、死ぬんじゃないかしら……」と不安になったそう。

 

早く終わってくれ、という願いもむなしく、夜が明けて6時、7時と時計は進み、8時間かけてようやく子宮口が全開に。

途中、先生が何度か直接指をかけて子宮口を広げていた気がしますが、陣痛とは違う痛みにも、もう「痛いです……」とつぶやくくらいしか体力が残っていませんでした。

 

終盤はスタートから時間が経ちすぎたせいで、赤ちゃんの頭が見えているのに陣痛の波は弱くなり、何度も「いきめる?がんばれる?」と声をかけられるものの、「わかりません……」と答えるのが精一杯。

何度かトライしてみたものの、最終的には陣痛促進剤を投与して、吸引分娩で赤ちゃんを引っ張り出すことに。

先生の「吸引しましょう!」という一声でにわかにスタッフが増え、ここまで長時間の付き添いに耐えた夫は、最後の最後で分娩室から出されてしまいました。

が、もうこの時点では「とにかく無事ならなんでもいい!」と思っていたそうで、外で待つ間も、中から聞こえてくる先生やスタッフさんの指示に「ハイ……ハイ……」と答える私の声がどんどん小さくなっていくのに、「本当にもうダメなんじゃないかと思った」そうです。

吸引分娩の準備が整ってからは本当に一瞬で、先生が「次で終わりですよ!次の痛みが来たら思いっきりいきんでください!」と声をかけてくれ、痛みに乗って子宮口にぐっと力を入れた次の瞬間にはずるっという感触があり、「ハイ出ました!赤ちゃん大丈夫ですよ!」という看護師さんの声が。

それが、入院から27時間、8時間に及ぶ分娩の終わりでした。

 

残念ながら、長時間の陣痛と吸引分娩で疲れ切っていたのは赤ちゃんも同様で、出てきたはいいものの呼吸が微弱で泣き声も聞こえませんでした。

小児科のスタッフに囲まれてあっという間に集中治療室に運ばれていったので、顔を見られたのはほんの一瞬のこと。

私の方の後処理は続き、後産、縫合が終わる頃には、ずっと仰向けの体を支えてきた太腿はがくがく笑って脚を立てておくこともできず、脱水症状を起こして震えるほど寒く、毛布でくるんでもらって落ち着くのを待っているところに、やっと夫が入室。

その場に赤ちゃんがいなかったこともあり、なんだか現実感がありませんでしたが、とにかく二人で「終わったね……」と言い合いました。

すぐに両親も来てくれ、そのとき撮ってもらった二人の写真を後から見ると、私は顔が真っ白で目の焦点が合っておらず、夫は徹夜ハイで満面の笑顔。

これが、私の初めての出産でした。

 

辛かったけど、赤ちゃんの顔を見たら嬉しさで忘れた、という話も聞きますが、私の場合はひたすら辛く、分娩台の上で何度「これで死なないなんて、人間は丈夫だなあ」と思ったことか。

とてもあの痛みを忘れられそうにありません。

終わった後の実感はまさに「生還」という言葉がぴったり。

後から聞くと夫もそう思ったそうで、妻の臨死体験に夜を徹して付き添った夫も、そして私の体力がないばかりに初めから大変な思いをして出てきた息子も、みんなで一緒に生還したパーティみたいだな、と思います。

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著者:中村ユイ
年齢:36歳
子どもの年齢:0歳1ヶ月

アパレルメーカーを中心にマーケティング・プロモーションの制作担当としてキャリアを積み、WEBメディアの編集者に。仕事一筋の人生を送る予定が奇跡的に結婚。順調に妊娠までしてしまい、当初の予定とのあまりの違いにおろおろする日々。妊娠してみて、一番辛かったのはお酒が飲めないこと…。

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