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「赤ちゃんは忘れ物を取りに帰った」 産後10ヶ月での二人目妊娠、そして稽留流産

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「ヒトは忘れる生き物」とはよく言いますが、出産前後の、痛みを筆頭とする数多の不具合も、いつしか「普段は忘れている」状態になっているのが不思議なもの。

それだけ子どもが可愛いとも、はたまた育児が目まぐるしいとも言えますが、「忘れないと次の子を産む気にならないから、忘れるようにできている」という話を聞いたときは、なるほどと納得したものでした。

 

わたしが2回目の妊娠をしたのは、そんな第1子出産のダメージも回復しきらない、産後10ヶ月すぎのこと。

母乳の出が悪くてほぼミルク頼み、デザート代わりのおっぱいも8ヶ月でフォローアップに切り替えたのを機に断乳した頃に、産後最初の生理が来て、それからほんの2ヶ月後のことでした。

当然、同月生まれの育児仲間にも妊娠している人はおらず、自分も夫も「まさか!もう?!」とびっくり。

上の子のときは、妊娠を意識してから実際に授かるまで、半年近くかかっていたので、あまりの即レスに心の準備が全く追いつかない状態。

 

 

とはいえ、出産を経験したばかりの身は迷いなく産婦人科に赴き、妊娠4週5日の小さな胎のうを確認してもらい、エコー写真を持って帰って夫に見せました。

「どうです、ほんとにいますよ」

「いますねえ」

まだ膨らまない…というか、一人目の産後太りすら落ちていないお腹にはなんの感覚もなく、頭の中で

「上の子と、1歳8ヶ月差になるのかあ」

「やっと夜眠れるようになったのに、イヤイヤ期とやらと新生児、両立できるかな」

「上の子が早生まれだから、学年は1歳差だ」

「男の子かな女の子かな、名前はどうしよう」

「お腹が大きくなったら、上の子を抱っこしてあげられないかも」

「また当分お酒はおあずけか…」

などとシミュレーションするばかり。

 

上の子の誕生日の頃にようやく妊娠3ヶ月くらいだから、周りへの報告はその後でいいかな?…と思いながら、翌々週の検診へ。

上の子を産んだ産院なので、わたしが診療台へあがるときも、なじみの助産師さんが抱っこしながら付き添ってくれました。

 

内診した先生が言葉を止め、その後の問診で「残念ですが、」と言いました。

7週になっているはずの赤ちゃんは、大きくなっていませんでした。

産院からの帰り道、夫にメールで「だめだった、稽留流産でした」と報告。

すぐに「分かった。仕方ないよ」と返信。

素っ気ないようですが、2文目が添えてあるだけでも、口べたな夫なりの気遣いだったと思います。

 

その後、娘を産んだ産院の、分娩室の隣の部屋で処置をしてもらいました。

麻酔で寝落ちる前に隣から産声がきこえて、ああよかった、と思ったのを今でも覚えています。

目が覚めれば痛みもなく、夫と上の子が迎えに来てくれて、あっけなく「妊娠していない人」に戻りました。

そんな具合で、つわりにすら至る前に終わってしまった2度目の妊娠でした。

 

が、その余波は意外と尾をひき、ちょっとした騒動もありました。

手術から2週間後、上の子の誕生日数日前のこと。

写真館で着せて撮ろうと、いただきものの子供服を洗おうとしたところ、洗面台に置いた服がみるみる白いまだらに変色。

夫がパイプ洗浄剤を撒いていたのを知らずに置いてしまい、脱色したのでした。

それを見たわたしはパニックになり、「どうするのよ!もう直せないじゃない!」と泣き叫んで夫に食ってかかりました。

流産とダメになった子供服とを重ねるわけではありませんが、やはり気づかないうちにホルモンバランスが大きく乱れて、いつもの自分ではなくなっていたのだと思います。

 

上の子を授かってからが順調で忘れていましたが、2度目の妊娠で「妊娠は奇跡」なのだとあらためて思い知らされました。

忘れっぽい母としては、いまも母子手帳ケースの中には、2度目の妊娠で撮ってもらったエコーの写真を入れています。

月並みですが、「赤ちゃんは忘れ物を取りに帰った」。

だから、いつか戻ってきたら整理しよう、と今のところ考えています。

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著者:kinoko
年齢:37歳
子どもの年齢:2歳9ヶ月

ワーカホリック状態の20代を経て、30代半ばで育児ワールドへ。これまでの常識を毎日覆されながら、子どもと一緒に成長中…だといいなあ。

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