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「ごめんね」を胸に。妊娠19週からの不安で辛い入院生活、そして泣きながら搾乳して通ったNICU

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私の初めての妊娠は双子でした。

喜びも束の間、妊娠19週0日、子宮頸管が19ミリということで急遽入院となりました。

その頃、夫はなんと警察学校にいて、会うことはおろか連絡も出来ない状態でした。

不安を抱えたまま、一人の長い入院生活がスタートしました。

 

お正月をはさみ、子宮頸管を縛る「シロッカー手術」を施しました。 

おなかの張りも落ち着いたかと思いきや、次は羊水過多で慎重に経過をみることになりました。

いつ生まれてもおかしくない状況。

一日一日がとてつもなく長く、 

日に日にお腹も大きくなり、

動くことはおろかただただ息をするのさえ辛かったです。

早く生んでしまいたい、そう思いさえしたものでした。

 

結局、目標の34週を超え、4/8の35週1日、夜中に破水し緊急帝王切開で1770グラム、2104グラムの元気な男の子がうまれてくれました。

二人はほどなくしてNICUへ。

そこから一ヶ月NICUでお世話になることになりました。

 

5か月ぶりに病院から出た空気は、最高でした。

赤ちゃん2人をおいて出るのも心苦しかったですが、外の空気を吸い、歩ける、この当たり前の幸せを噛みしめることができました。

が、本当の退院ではない。そんな複雑な心境で帰路へつきました。

 

そして、ここからまた地獄が始まります。

3時間おきの搾乳。

夜も赤ちゃんがいないのにわざわざ目覚まし時計をセットしてひとり夜な夜な搾乳の準備をして搾乳。 

寝ぼけながらも搾乳をし、目覚ましで起きられれば問題ないのですが、起きられなかったときの罪悪感といったら。 

自責の念。

二人分ださなきゃいけないのに、なかなか搾りたい量まで出なくて通常の二倍の時間ひたすら絞る。

頭は搾乳のことだらけ。

一日中搾乳に追われていました。

特に夜がつらく、なぜわたしがこんなことをしなくてはいけないんだと涙が出るときもありました。

長い入院生活よりも、精神的にきつかったです。

 

赤ちゃんにあいたくても毎日会えない。

私が母親なのに…

ひたすらわが子のことを思いながら搾乳しました。

 

2日に一度NICUに会いに行けたのですが、その時はまだ痛む帝王切開の傷が気にならなくなるほどわが子に夢中になりました。 

ごめんね、という思いを胸に病院を後にするその虚しさは、今でも消えません。

 

ゴールデンウィーク明けに二人は同時に退院することになりました。

私の実家では、ゴールデンウィークは毎年家族旅行に行く習慣があったのですが、今回は母乳を届けなくてはいけないので父に頼み毎日連れていってもらいました。

 

家族の協力なしではNICUに行けないし、母乳も届けられない。

申し訳なさと感謝の気持ちが入り混じる複雑な心境でした。

 

夫は4月に警察学校を卒業しましたがその後すぐに寮に入らねばならずほとんど会えなかったしわが子にも全然会えませんでした。

警察官という仕事は、生活が不規則で規則だらけ。

夫には頼れない以上に、支えにならねばという心境が強かったです。。

 

そうこうして、双子はNICUを無事に卒業しました。

双子が病院から出た時、

私の長い入院生活が本当に終わった、そう感じました。

そして晴れ晴れとした気持ちで病院を後にしました。

 

・・・

 

今では双子も1歳9カ月。

未熟児で生まれたのに大きな病気をすることなくスクスク育ってくれています。

一ヶ月NICUにいて離れていたので

 「絶対に母乳で育てる!」

ということで完母で育てました。

(完母もたくさんのトラブルを乗り越えました)

 

ダブル授乳を終えた時の安らかな寝息を立てる2人。 

今は怪獣のように毎日があわただしく一息つく間もありませんが、

ずっと傍にいれる幸せをかみしめながら毎日過ごしています。

 

長い入院生活、NICUで離れていた生活。 

これがあったから今の毎日がどんなに疲れたりイライラしようとも、

大切でかけがえのない、そして貴重な時なのだと実感しながら過ごせているんだろうなと思います。

 

この体験記が色々な人のためになれば幸いです☆

 

著者:あにー

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。