上の子妊娠中も切迫流・早産と言われてひたすら安静。
最後は入院・点滴でした。
二人目を妊娠した際にも切迫になってしまい、これはもう体質だろうということで自宅安静にしていました。
トイレ・洗面・食事以外は歩いちゃダメってくらい厳しい安静度です。
加えて、子宮収縮を抑制する薬も飲み続けていました。
上の子も実家で見てもらい、ほぼ寝たきりを守っていたけど、7ヶ月に入った最初の検診で
「診断書書くから今すぐ総合病院行って!」
と言われてしまいました。
内診で子宮頚管の長さが10mmとかなり短くなってなっていたため、万が一未熟児で生まれても対応できるようにとのことでした。
ところが、いざ総合病院で再度内診を受けると頚管長さは測れず、子宮口が開いていて赤ちゃんを包む卵膜が見えている状態でした。
そのため、いつ陣痛・出産になってもおかしくないと言われて、そのまま緊急入院になってしまいました。
病室まではもちろん車椅子、前かがみになるのもダメで、病室に着くなり点滴よりも更に即効性のある子宮収縮抑制剤の筋肉注射をガッツリ刺されました。
その後は、点滴を繋がれひたすらベッド上絶対安静、産褥ショーツを履き毎日ご開帳して洗浄・薬の挿入・・・。
毎日な上にカーテンも無しだったので、必要と分かっていてもへこみます。
食事は出来るだけ体を起こさないでと言われたので、あまり食べられない状態が続きました。
最初の1週間は導尿で、お通じのみトイレへ行きました。
トイレがすごく近かったのですが、ポータブルトイレは懇願して止めてもらいました。
上の子の時、お通じのたびにナースコールするのが屈辱と情けないので泣けたので…。
それ以外にも、体を拭いてもらったりなど、全て上げ膳据え膳状態で、介護されるってこんな気持ちなのかなあって思ったりしました。
この時は、やることが「テレビを見る」しかなく本当に暇で、1日が長くてたまらなかったです。
点滴針は毎日刺し替えるのですが、血管が表層にあまりない上に細く、1回の差し替えで何度も失敗されることが多くて辛かったです。
その後8ヶ月に入る頃には、頑張る母の気持ちがお腹の子に通じたのか、なんと子宮口がギリギリ閉じました。
担当の先生も
「一度開き始めたら止まらない。だからこそ進行しないよう安静にしてたんだけど不思議だねえ」
とおっしゃっていました。
状態が安定してからは、自力でのシャワーや車椅子での散歩を許されましたが、そのうちに外出許可、外泊許可も出て上の子の誕生日を一緒に祝うことも出来ました。
とはいいつつも結局、最後まで薬のお世話になり、ちょっとだけ早産で生まれてきた我が子。
途中危ない橋を渡ったからか、物怖じしないやんちゃの子に育っています。
腕に点滴針の差し替え跡が沢山残っていますが、無事に元気に生まれてきてくれた今となっては私の勲章です。
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
妊娠時期別記事
著者:ももこ
年齢:32歳
子どもの年齢:4歳、2歳、7ヶ月
切迫体質や二人目不妊疑惑などを乗り越え3児の母 です。3回の出産を乗り越えてきたからでしょうか。主人からは肝が座っていると言われます。
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