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岩手県での被災。せっかく助かった命を落とさないために…災害対策の重要性を身をもって体験

 

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4年前の震災当時、私は保育園の給食調理員として勤務中でした。

ちょうど園児たちがお昼寝から起きる時間帯で、もう一人の職員がおやつの準備をしていた頃です。

3月といってもまだまだ冷える給食室では、暖房をつけていました。
昼食の食器洗いの最中、急に地響きを遠くから感じて「地震かな」と思い、暖房の電源を止め、ガス栓を閉めた瞬間。

あの激しい揺れが襲ってきました。


毎月行っていた避難訓練の通り、各部屋を周り、園児たちの安全確認をしつつ、玄関や窓を開けて出口を確保するも、なかなか揺れがおさまらなくて…。 

間もなく、停電。

棚のものは崩れ落ち、給食室の大きくて重い業務用冷蔵庫も数センチ移動していました。

私には当時3歳と1歳の息子がいて、実家で母が見てくれていました。

テーブルの下で泣いている園児を見ていて思ったのは、やはり我が子の無事。

早く家に帰りたい気持ちでいっぱいでした。

帰宅することになり、携帯電話を確認してみましたが、電話が通じませんでした。

帰路では信号機が機能しておらず、至る所で電柱が倒れ、地割れ、液状化で波打った道…おまけに雪がちらついて。

車を運転するのが怖かったです。

そしてやっと辿り着いた実家。本棚や食器棚が倒れ、居間は割れたガラスなどでぐちゃぐちゃでした。


停電の夜は真っ暗。

懐中電灯やろうそくを活用して明かりを確保。

寒いので湯たんぽを使用して、暖をとりました。

幸い、実家ではガス釜でお米を炊いていたので、炊飯には困りませんでした。

ただ、この震災の混乱で、スーパーやコンビニでは十分な食料や日用品が調達できなくなり、更にはガソリンも手に入らなくなり、外出が難しくなりました。

 

居住地は自家用車がないと不便な所なので、車が動かせないということは死活問題。

そして我が家のような子育て世帯が困るのは、子供のミルクやオムツの入手が困難になることです。

我が家では幸いなことに、どちらもストックはいくつかあったのですぐには困ることがありませんでしたが、被災地の物資不足はとても深刻だったと思います。

実際、被災地で餓死したお子さんがいらっしゃるということも聞いています。

被災したストレスで母乳が出なくなったお母さんもいらっしゃったそうですね。

 

次男は、その時まだ離乳が完了しておらず、食事もおかゆしか食べていなかったのですが、震災を機に、普通のご飯を食べるようになりました。

1歳2か月という月齢で、お腹を壊したりはしなかったので良かったのですが、これがもっと小さい月齢のお子さんだったら、どうするのかと考えて不安になりました。


被災して3~4日経ち、電気が復旧し、やっとネットがつながるようになって、それから3週間ほどで少しずつ日常が戻ってきましたが、今現在も避難所生活を余儀なくされている方も多くいらっしゃいます。

当時の居住地は、メディアで多く取り上げられた沿岸地域ではなく内陸地域ではありましたが、土砂崩れ、地割れ、家屋崩壊、火災、液状化現象など、大震災の爪痕は凄まじいものがありました。

 

災害対策を考えたとき、まず小さなお子さんのいる家庭では、「子供のもの」から備えをしていた方が良いでしょう。

例えば、オムツやミルク、着替え一式、お湯を沸かすカセットコンロ、離乳食のレトルト食品など。

それから水、食料、電池、生理用品他消耗品、懐中電灯、ホッカイロ・毛布などの防寒グッズなど、基本の災害対策を考えていきます。

また、車のガソリンは常に半分以上をキープしておくこと。これが意外に重要です。

車があれば暖房も使えるし、携帯電話・スマホの充電にも活躍します。

面倒くさいと思うかもしれませんが、私が被災してわかったことは、「備え無しでは、助かった命も落としてしまうかもしれない」ということ。

先述の餓死してしまったお子さんのことを思うと、本当に胸が痛みます。

  

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著者:瀧澤まい
年齢:29歳
子どもの年齢:8歳0ヶ月、5歳8ヶ月

岩手県に在住の主婦です。保育園給食の調理員として勤務していた頃、東日本大震災に遭いました。ちなみに主人は自衛官で、当時は単身で駐屯地に滞在しており、災害派遣も経験しています。現在は三男も生まれ、家族5人で暮らしています。

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。