ひとり目を出産した後、32歳だった私は、できるものならすぐにでも、次の子が欲しいと思っていました。
3人子どもが欲しかったので。
ひとり目の子を母乳で育てている間、一度も生理が来なかったので、次の妊娠への準備もあり、一年間で母乳を止めました。
断乳ですね。
けれど母乳を止めて1カ月しても生理が来ず、多少の焦りもあったので、産婦人科に行きました。
そこでなんとなんと妊娠していたのでした!
まさかの「生理来ず妊娠」です。
週数にしてまだ5~6週、着床ほやほやでした。
望んでいたし、嬉しいのだけれど、その時は驚きの方が大きく、ふわふわした気持ちで帰ったのを覚えています。
主人はとても喜んでくれ、1歳の娘はなんのことやら分からないご様子。
それからお盆休みを挟んでの検診は3週間後となり、遅くともこの回で、心拍確認となるはずでした。
この3週間ですっかり妊娠モードになった私は、気持ちの整理もつき、心から喜んでいました。
体もほてっていたり、少し気持ち悪かったり、だるかったりしていたので、妊娠している実感が湧いていました。
検診の日も、何の疑いもなく
「今日は心拍確認できる~♪」
とウキウキしていた私は、連れて行った上の子をお腹に乗せたまま、診察台で足を開いたのでした。
先生は念入りに、念入りに見ていましたが、心拍が確認できず。
大きさも3週間経ったにしてはやや物足りない感じ。
あと1週間待ってみようということになりました。
なんだかモヤモヤ、考えてしまう1週間。
検診の前日、ややピンクがかったおりものが出て、不安がよぎりました。
電話で伝えるとすぐに来るように言われ、また上の子と一緒にいそいそと、ドキドキしながら向かいました。
頼むから無事でいてと願いながら。
けれど、
「残念ながら心拍確認できず、胎児の大きさも変わらずです。早めに手術で摘出しましょう」
稽留流産と診断されました。
もう次の「あと1週間」はなかったのです。
ふたり目だったし、目の前に上の子もいるし、しっかりしなくちゃいけないのだけれど、涙が溢れて止まりませんでした。
上の子を抱きしめながら泣きました。
もう手術しなくちゃいけないのか、あと1週間待てないか、あまりの展開に気持ちが追いつきません。
私の何かがいけなかったんでしょうかと先生に聞くと、即座に
「そんなことはない、これはよくあることなんだ、自分を責めちゃいけないよ」
と優しい目で言われました。
「なるべく早い方がいい」
という手術は、5日後に決まりました。この5日間が、とてつもなく辛かったです。
いまだ妊娠モードの体がここにあり、お腹の中にはまだ、いて、ただでさえ気持ちも沈
みがちな時期に、受け容れがたい事実。
やはり責めるべきは自分になり、泣いて泣いて暮らしました。
主人は微塵も私を責めることはありませんでした。
手術の日も、早く済ませてしまいたいような、永遠に始まらないでほしいような、複雑な思いでした。
初めての全身麻酔で眠りにつくと、目が覚めたときにはすっかり終わっていました。
麻酔のフワフワ感が完全に抜けた次の日、驚くほど体が軽くなっていたのです。
これは体重の話ではなくて、妊娠モードが完全に終わったことを実感した、という感じです。
体のだるさが一気に抜け、ほてりもなく、不快感もない、まさにすっきりしているのです!
おかげで心も沈みきらずに済み、やっとこの事実を理解し、受け容れることができました。
先生の、
「妊娠しやすい状態だから、諦めないで」
という言葉どおりに、半年後再び妊娠し、今度は無事に出産できたのでした。
著者:こぶ
年齢:35歳
子どもの年齢:0歳10カ月、3歳2カ月
ふたり姉妹の母です。 雨の日に、下の子を抱っこしたままカッパ着て、上の子を自転車の後ろに乗せて、坂道をのぼる私。ママがんばれーなんて言われて。気づけばどっぷり子育て中なのだ。そんな今が好きです。
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