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突然訪れた実弟の死。その後、第二子の流産を経て「死」について考えた

結婚してすぐに第一子を授かったわたしは、あっさり妊娠したことに正直驚きましたが、子どもは欲しかったし自分が母になることは前々から想像し楽しみにしていたので家族みんなで喜びました。

わたしと旦那の親戚には小さい子どもはおらず、私たちの子どもが初めての赤ちゃんでした。

なにもわからず突然にやってきた悪阻に苦しみ、実家の助けをかりながら10ヶ月の妊婦生活を過ごし、無事に安産で女の子を産むことができました。

 

子どもが1ヶ月を迎えるまで実家に戻り育児だけに専念させてもらい、自宅に戻ってからも実家の快適さが忘れられず泊まりで実家に戻っていたある日事件が起きました。

それは子どもが7ヶ月を目前にした日でした。

夜中に家の電話が鳴るのは不吉なことだと後から思えばわかりました。

わたしがとったその電話は病院からで、弟が救急車で運ばれたことを聞きました。

わたしは母に「一緒に行く」と言いましたが、まだ小さい子どもを深夜に一緒に連れて行くのはよくないと祖母に言われ家で待つことになりました。

わたしは、いまだにこの時一緒に行かなかったことを後悔しています。

 

明け方、母からの電話で弟の早すぎる死を知りました。

原因は、急性心不全でした。

愕然としてわたしの涙は出ませんでした。

わたしの代わりに子どもはいつも以上に泣いているようでした。

それからの一週間くらいはバタバタと過ぎ去り、子どもの授乳(ストレスのせいか母乳の出が悪くなったが)の時間だけは安らぎの時間でした。

赤ちゃんは何も分からずただおなかが減ったら泣き、オムツを替えて欲しければ機嫌が悪くなるというとても純粋で無垢な存在だったので、わたしを現実から少し引き離してくれました。

子どもがいなければこの辛すぎる状況を耐えられなかったかもしれません。

 

それから2年後、わたしは仕事にも復帰し日常生活も元に戻ってきたため、2人目を考え始めました。

しかし、1人目の時と違ってすぐには妊娠することができず、少しあきらめかけた時ようやく妊娠できました。

妊娠検査薬で陽性が出て病院に行くと、まだ赤ちゃんの姿は見えませんでした。

2週間後もう一度検査にいくと赤ちゃんの姿はありましたが、

「うーん、あれ? ないなぁ」

と先生がつぶやき、

何度も向きを変えて確認しましたがとうとう心拍が見えないことをわたしに告げてエコー検査を止めました。

『先生何を言ってるの??もう一回よくみて!!』

と心の中で叫んでいましたが、どんどん流産の話は進んでいき、1週間後に流産手術を受けることになりました。

その1週間の間にわたしは流産について調べ、同じような体験談を読んでは何度も泣きました。

さすがに1週間も泣き続けることはなく3日目くらいには冷静になって、受け入れるしかないことがわかりました。

弟の死を受け入れた時と同じような気持ちでした。

 

まだ産まれていない赤ちゃんでもこんなにつらく悲しいのなら、24年間育てた息子を失った母の悲しみはわたし以上だったのだろうとまた涙がでました。

流産手術はあっという間に終わり(わたしはかなりビビっていたのですが)、つわりもなくなって生活リズムは元に戻ってきました。

でも、心にはポッカリ穴があいているようでした。

言葉に表せれないその気持ちを家族にも伝えず毎日を過ごしていましたが、そんな時母から弟のこんな話を聞きました。

 

弟は24歳で亡くなりましたが、結婚目前の恋人がいました。

弟はわたしの子どもを抱いた時、

「自分の子どもを1番に抱きたかった」

と言っていたそうです。

弟は幼少の時にかかった病気のせいで自分が子どもができにくい体だと思っていました。

冗談交じりに、わたしが子どもを3人産んだら1人養子にもらおうかと話していたそうです。

その話を聞いて、お空に帰ってしまったわたしの赤ちゃんは、弟が1人で寂しくないように一度わたしのところにやって来たんだ、きっと今頃弟が四苦八苦しながら子育てしてるに違いない!

と思うようになり、その姿を想像すると笑えてきて救われたような気がしました。

今は前向きに次の妊活に取り組んでいます!

著者:H

もうすぐ4歳の娘がいます。

時々不安に押し潰されそうになりますが、

子どもの笑顔と家族の支え、

私だけがつらいんじゃないと思いながら

1日を大切に生きています。

自分の気持ちをこの機会に言葉にして書き記して

元気に妊娠、出産は奇跡の連続なんだと

忘れないでいたいです。

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