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生まれてすぐに呼吸困難になった娘。「声が出なくても、命あってこそ」気管切開児の人工呼吸器ライフ

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長男が2歳になった時、二人目の子供を授かりました。希望したタイミングでお腹にきてくれた赤ちゃんに感謝し、一人目と同じように元気に生まれてきてくれるだろうと楽観的に思っていました。

一人目が逆子で帝王切開だったため、二人目も帝王切開で、予定していた手術日に生まれました。おぎゃーと優しく泣く赤ちゃん。でもそれからすぐに呼吸が苦しくなり、顔が青白くなっていきました。口から気管へチューブを入れ呼吸を確保し、小児に特化した大きな病院に緊急搬送されました。そこから娘の長い入院生活が始まりました。

私は自分の体が落ち着き、出産のため入院していた病院を退院し、子供のいる病院に面会に行きました。2050gの小さな体、その口に入れられたチューブには人工呼吸器がつながれていました。起きて暴れてチューブが抜けてしまうと大変危険なので、薬を使って眠っていました。そのか弱い姿に、病室にいることを忘れ涙しました。元気な体に産んであげられなくてごめんねという気持ちでいっぱいになっていました。

その後、検査の結果ついた診断名は「気管軟化症」「声門下腔狭窄」でした。初めて聞く病名に戸惑う私と主人に主治医はわかりやすく説明してくれました。「気管軟化症」は息の通る道である気管が柔らかく、呼吸しようとするとつぶれてしまうという病気、そして「声門下腔狭窄」は声門の下に一部気管が著しく狭い部分があるという病気でした。そのため自力での呼吸が難しく、人工呼吸器を使って生活することになりました。口からただチューブを入れているだけでは不意に抜けてしまう恐れがあって管理が難しいため、のどの一部を開き、そこから直接L字のチューブ(カニューレ)を気管に通す「気管切開」という手術を受けました。

手術を受けるにあたって一番ためらったのは、気管切開をすると声が出なくなるということです。声門の下から肺へ空気が出入りするので、発声ができなくなるのです。悩む気持ちもありましたが、「声が出なくても、命あってこそ」と思い、手術をお願いしました。今でも娘の話を聞けないのは辛いですし、他の子供の声を聞くと胸が痛みます。ですが、元気にしている娘を見ると「ただ生きていてくれるだけでいい」と自然と思えるのです。

手術が無事終わり、傷口が安定すると、娘は目を覚まして過ごす時間が長くなりました。呼吸器をつけているため、ベッドの上で生活しました。口からの授乳はできず、鼻から胃へチューブを通して搾乳した母乳を入れていきました。一日の内、短時間だけ人工呼吸器を外すことができたので、カニューレの先に人工鼻というキャップの様な器具をつけてお風呂に入れました。首の部分に水がかかると気管に水が入り込み肺炎になる危険があるので、看護師さんにしっかりと抱っこしていてもらい、私が体を洗うという二人三脚の作業でした。お風呂に入れるのは緊張の連続でしたが、慣れてくると子供と触れ合える貴重な機会となり、気持ち良さそうにお湯につかる娘を看護師さんと見つめるほっこりとした時が流れていきました。

気管切開児を育てていく上で覚えなければいけない医療行為に「吸引」があります。体内の異物を外へ出すため気管に痰が上がってくるのですが、たまってしまうと気管を塞ぎ、呼吸を妨げます。そのため、カニューレからチューブを通し、吸引機で痰を吸い取るのが「吸引」です。これも最初は看護師でもない自分にできるのか?と手を震わせました。病院でしっかりと指導してもらい、回数を重ねていくうちにシンプルな作業に思え、吸引がおわってスッキリするとご機嫌になる娘を見るとこちらも達成感を感じるものでした。

運動面では、首のカニューレが抜けてしまったり、呼吸器とつなげているホース部分(回路)を引っ張ってしまったりしないよう激しい動きはとれず、制約のある中でのリハビリを受けました。ずっと狭いベッドの上だけで過ごしているので、母子手帳通りの発達とはいきませんでしたが、6ヶ月頃に首が据わり、8ヶ月半に寝返りをうてるようになり、1歳を過ぎる頃には一人で座れるようになりました。ゆっくりだけど着実に発達していく娘の姿は頼もしく、特殊な育児にはなったものの成長を喜べることを母として本当に嬉しく思っていました。

ふらふらと座れるようになったのと同じ頃、娘の体調も落ち着き退院できることになりました。家でも病院と同じようベッドサイドにワゴンを置き、その上に人工呼吸器を乗せました。娘が過ごせるのは人工呼吸器の回路が届く半径約2mの円の中。それでも病院とは違う床の上での遊びや、オモチャ・本との触れ合い、そして何より家族4人で過ごせることが幸せでした。

散歩や通院にももちろん人工呼吸器を持って歩きます。そのため一人目の時に買ったコンパクトなベビーカーでは間に合わず、荷台の大きなベビーカーに買い替え、荷台に呼吸器、両手にその他必要な医療器具や着替え等、大量の荷物を持って小旅行のように移動していました。間違いなく母の筋力はここで鍛えられたと思います…。

思い返していくと大変なことは確かに多かったです。でも今3歳になった娘は、日中は人工呼吸器をはずして生活できるようになり、手をつないでお散歩したり、公園の遊具で遊んだりと伸び伸び生活しています。娘の望む場所へ自由に動けるなんて、入院していた頃から考えると夢のような生活です。そして今の生活をありがたいと思えるのは、間違いなくこれまでの生活があったからです。娘の呼吸を助けてくれた人工呼吸器は彼女にとって体の一部であり、家族にとっては命の恩人なのです。

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著者:ぽん
年齢:31
子どもの年齢:長男4歳、長女2歳

パパ、4歳の長男、2歳の長女と私の4人家族です。障がいを持って生まれてきた長女と初めてだらけの育児の中、明るく楽しく!をモットーに過ごしています。恥ずかしがりやな長男と、陽気な長女に癒されている毎日です。我が家の経験がどなたかの力になれたら嬉しいです。

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