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子どもの「ダウン症」を退院直前に告げられたママ…でも、それってどういうこと??

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ダウン症児の娘を育てています。

と言われても、ぴんと来ないという方が大半ではないでしょうか。

正直、私も娘を産んで育てるまで、ダウン症や染色体異常というものについての知識はほとんどありませんでした。

「ダウン症」との付き合いがどう始まったのかということについて、私の経験をお話したいと思います。

 

娘を妊娠したのは34歳の時で、出産時は35歳になっていました。

なんとなく、「35歳を過ぎての出産はリスクが高まる」といったぼんやりとした不安感はあったものの(リスクとは何なのか、ということも把握していないまま)、特に妊婦健診で何かを告げられることもありませんでした。

多少のマイナートラブルはありましたが、妊娠期間はごく普通に過ごせたと思います。

妊娠中にも「染色体異常」「ダウン症」といった新聞記事、ネットニュース等を目にする機会はあったものの、ありがちな話ですが自分には関係のない、遠い世界の話だと捉えていました。

「ダウン症児は胎動が弱い」というような話を読んでも、娘の場合は胎動が強かったので、この子はそんなことはないでしょう、と勝手に思い込んでみたり。

 

出産は予定日の2日前、陣痛始まりの分娩でした。

ここでもとりわけ何か変わったことがあった訳ではなく、通常分娩の範囲に収まる話だったと思います。

さほど時間も掛からず出てきてくれた娘は、出生体重も3,000gをわずかに切るくらいで問題なし。

初めて顔を見て、顔が丸いなぁ、とか、まぶたが二重だな、とか、特に家族の誰かにそっくりという感じはないなぁ、などと思いましたが、ダウン症児の顔の特徴といったものを特に知らず、意識もしていなかったので、それが何らかの兆候だとは思いもしませんでした。

けれどおそらく、生まれてすぐに娘の顔を見て、産科のスタッフには「ダウン症児だな」とわかったのだろうと思います。

私自身は医療関係者ではありませんが、ダウン症についての知識を得た今となっては、ダウン症の方はぱっと見たらわかるようになりましたので。

 

とはいえ、さすがに分娩を終えたばかりの産婦や家族にすぐに告知をするようなことはありません。

ダウン症の赤ちゃんの場合、何らかの合併症があり、すぐに特別な処置が必要になって分娩室の空気が緊迫して、親も異常に気づく…という場合もあるようですが、幸いにも娘は元気な産声を上げ、処置を要するようなことはありませんでした。

その後の入院中では、授乳指導を2回ほど終えた後に、ちょっとこの子は哺乳力が弱いようだから、直接母乳を与えるのではなく、搾乳して哺乳瓶に入れてから飲ませて欲しいという指導がありました。

これも振り返って考えれば、ダウン症の新生児の特徴である初期の哺乳不良を懸念しての助産師さんの指導だったのだろうと思います。

しかし娘は哺乳瓶を使うと、母乳もミルクもそれなりに飲んでくれたので、この指導について特に深く考えることもありませんでした(ちなみに、退院後の1週間健診で直接母乳をあげてもOKという許可が出たので、結局母乳も与えながらの混合で育てました)。

 

お世話になった産院では、入院期間中に外部の小児科医による新生児健診がありました。

こちらは曜日が決まっていたのですが、ちょっと不思議なことに、同じ日に生まれた他の赤ちゃん達は水曜日に健診を終えていたのに、娘の健診は退院前日の金曜日という予定が組まれていました。

これについても何を疑うこともなく、先生のスケジュールの問題かなぁと思いながら、入院期間も終わりに近づいていた金曜日の午後に、娘を挟んで小児科の先生とお話をしました。

体重は出生時から減少していますが、現時点で健康状態に特に問題はないですよ、と、一般的な所見を聞き、さてこれで健診も終わりかと思ったら…そこで、「染色体異常の可能性があります」ということを初めて告げられたのです。

 

思いもよらなかったことなので、ショックというより何より、ぽかんとしてしまいました。

「ええと、それってどういうことなんですか?」

と、明らかにわかっていない表情で聞いてみた私に、先生は以下のようなことを説明してくれました。

 

この子には先天性の染色体異常の疑いがある。

ダウン症と呼ばれるもので、発達障害や知的障害を伴うケースが多い。

けれど、確定診断は大きな病院で血液検査をしないと出せないので、今はあくまで外見からの「疑い」という診断。

検査を希望する場合には大病院への紹介状を出すので、また相談してほしい…。

 

そんな健診の後、吊り気味の目を閉じてすやすや眠る娘の顔を見ると、漠然とした不安に駆られてしまいました。

本当にダウン症だったとしたら、一体どういう風に育っていくんだろう、そして、どう育てたらいいんだろう?? 

嘆いたり、悲しんだりというよりは、とにかく「どういうことなんだろう…」という風な疑問がぐるぐると頭の中を回っていました。

家族にもその日の晩にすぐ報告しましたが、こちらも同様の状況だったので、ショックを受けたというより戸惑いが先に立った様子でした。

 

そして産院を退院した後、大病院で検査を受けて、娘がダウン症だということが確定しました。

出産に伴う入院時、「ダウン症の疑いの告知」が避けられなくなる小児科健診を、入院期間の最後になるよう調整してくれたのもおそらく、産院側の配慮だったんだろうな、と、こちらも振り返ってみるとそう思います。

 

あの告知以来、娘がダウン症である、ということを考えない日はありません。

けれど時が経つ中で、それは娘は女の子だ、と毎日考えるのと同じようなものなんだな、ということに気付くようにもなりました。

実際に日々の育児を続けていると、確かにペースはゆっくりながらも、娘は着実に成長しています。

 

もちろん、首がすわるのに半年かかったり、2歳半になっても言葉は出ていなかったりと、同年代の他の子と違う点も多々あります。

しかし、診断名のつく障害のあるなしに関わらず、子供が大きくなるあいだの悲喜こもごもは一人ひとりそれぞれ異なるもので、そうした経験を通して「人間」が育つという事実に変わりはありません。

娘がダウン症であるということは、彼女というひとりの人間を形作る要素のひとつなのだと考えています。

 

「ダウン症児を育てるって、どういうことなの?」

そんなかつての私の疑問に今、答えるならばこうでしょうか。

「人間を育てるってことですよ」

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著者:Takoos
年齢:38歳
子どもの年齢:5歳・2歳

独身時代の海外在勤中に、福祉先進国な北欧の子育て事情を垣間見る。帰国後は関西と東海の狭間で、妊娠、出産、育児、在宅フリーランスと経験中。子供から様々なことを学ぶ日々を送っている。

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