私の第一子出産は、「待ち」との戦いでした。
まず、破水で入院が決定するも、産科のベッドが空いてなくて、陣痛室の簡易ベッドで24時間待機しました。
まあでもこの時は、いよいよだ!とわくわくしていたので、そんなことはあまり気にならず。
破水から24時間経った頃、モニターから聞こえる胎児の心拍が低下。
急にドタバタとドクターや看護師さん達が走り回り、緊急帝王切開が決まるも、今度はオペ室が空かない!
ちょっとちょっと、お腹の赤ちゃんはどうなるの!?と真っ青になってると、ドクターがお腹をいじくり倒して、なんとか心拍確保。
その後、無事に帝王切開で生まれた我が子、へその緒が首に絡みついていて、なおかつ、自ら出ようとして産道に頭突っ込んでいたようで、頭がひょうたん型になっていました……。
そして、産後。
産科のベッドが空いてないということで、産科ではなく、一般病棟のGICU(集中治療室)で一晩過ごしました。
集中治療室と言えども4人部屋で、つまり出産ではなくなんらかの病気や怪我で手術をした人たちと同室で、
各所から「ピーピーピー」だの「シュゴーーーッ」だのいろんな機械の音が聞こえ、苦しそうな呼吸が聞こえ、ナースコールが絶え間なく鳴り……
もちろん、やっと対面した赤ちゃんとも離れ離れ。
私は急な手術での出産でメンタルボロボロで、産褥熱と後陣痛でうなされながら、気を紛らわせようとスマホをいじることもできず(集中治療室なので携帯禁止)……
わたし、なんでこんなことに?と泣いていました。
これが本当にトラウマで、第二子出産を同じ病院にすると決めた時から、「お願いだから産後は廊下でもいいから産科に行かせてください」と頼んでいました。
そして、第二子出産。
当初の予定だと、お正月明けの1月7日に予定帝王切開のはずだったので、「その頃はそんなに混まないと思いますよ」と言われていました。
しかし、手術予定日より前の、三が日中に、産気づいてしまい……。
お正月休みで、外来もやってないから、ドクターや助産師さん看護師さんの数も少なくて……また待たされるのでは!?
と不安に震え上がるのもつかの間。
「お正月で空いてるので、もう手術しちゃいましょうか」
家族が駆けつけるより前にオペ室に直行。
するするすると準備が進められる中、やっと病院に到着した夫は産科の入り口で速攻手術の同意書にサインさせられ、オペ室にその旨の連絡が入るや否や「では始めます」。
9時に陣痛が始まり、10時に病院に電話、10時半に病院到着、11時に手術決定、11時半にオペ室に到着。
12時08分。第二子娘、あっという間に生まれました。
あまりの流れの速さに、私は身を任せていただけでした。
カンガルーケアをしたのち、娘は産科に連れて行かれ、家族とご対面。
私は術後の処置が終わってから産科に運ばれていきました。
そう、産科。
生まれたばかりのベビー、あたたかい家族、産科のドクターに助産師さん、ナースさん……
超安心感!!!
しかも病室は、前回の話を聞いていた看護師さんが気を利かせてくれて、最初の日だけでしたけど、4人部屋に私1人の贅沢空間!!
ベビーと過ごすもよし!家族とお話するもよし!!ひとりでゆっくりスマホをいじるもよし!!(←これ、どれも、集中治療室だとできなかったこと!!!)
なにこの違い!!
同じ病院なのに!!!
お正月の出産、どうなることかと思いましたけど、「空いてる時期」のおかげで、後陣痛の痛みも、スマホいじったりテレビ見たりして紛らわせることができました!
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
>>>次回のエピソード:帝王切開後の辛すぎる痛みと戦う最強の武器○○○をもって挑んだ、二度目の産後…
著者:うだひろえ
年齢:アラフォー
子どもの年齢:4歳と2歳
マンガ家/イラストレーター。愛知県生まれ。2008年『夢追い夫婦』(KADOKAWA)でコミックエッセイデビュー。『誰も教えてくれないお金の話』(サンクチュアリ出版/監修:泉正人)が30万部を超えるベストセラーに。4歳男児&2歳女児の子育てに奔走する生活を、ツイッターやブログで垂れ 流し中。
website:http://umeyon.net
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