娘を産んで、すぐの頃の話です。
当時の私は、東京で孤独な子育てをしており、頼れる身内もなく、気軽に会って話せる友達もいませんでした。
毎晩、一人で娘の世話をしながら、日付が変わった頃に仕事から帰ってくる夫を、ひたすら待つ日々。
そうなると人間、どんどん心が荒んでいくもので、人付き合いに苦手意識がある私でも、さすがに(このままではまずい、何とかママ友を作らなければ)と思うようになりました。 そして思い切って、近所の子育て支援センターや、子育て支援施設を調べて思い切って行ったものの…
浮きましたね。
浮きましたとも。
浮いてしまいました。
となり同士になったママさんと、他愛のない、その場限りの交流はできるものの、連絡先を聞いて付き合いを続けるなどの、次のステップにつなげることができませんでした。
それに、そういう場所にいるママさん達は、既に常連の風格をかもし出していて、ポッと出の新人が輪の中に入っていくことが難しい状況でした。
それならばと、「同じ月齢児のママ限定!はじめまして交流デー」などを選んで行ってみても、結果は同じ。
(今日こそは、連絡先を自分から聞こう!)
と決意して向かうものの、いざ現場につくと、そのタイミングがなかなか掴めない。
「自然と気の合うママが現れて、あっという間に意気投合♪」を求めて、懲りずに何回も行くものの、毎回撃沈して帰ってくる。その繰り返しでした。
今思うと、「ママ友づきあい」というものに、悪いイメージを持ちすぎていたような気がします。
「迷惑かけられない、失敗は許されない、変なママだと思われたらどうしよう」と、そんなことばかり考えて、本来の自分を出せず、よそゆきの仮面をかぶって、愛想笑いばかりしていました。
「浮きたくない」と強く思うあまり、必要以上に慎重になったり、臆病になってしまって、その態度が人を遠ざけて、浮いていたのかもしれないですね。
ちなみに、過去形で書いていますが、今もそういうところがあります。
ただ、以前と違うのは「他のママを怖がったり、ママ友を作らなきゃと思い詰めるのはやめよう」と思えるようになったことでしょうか。 また、ママ友を作ろうと思った理由の一つに、「娘にお友達を作ってあげなくちゃ」という気持ちが強くあったのですが、子どもが大きくなって幼稚園に行くようになると、親が必死になって働きかけなくても、子どもはちゃんと自分自身で、つながりを作って帰ってくるようになりました。
親としてやるべきことは、子ども同士のつながりを、大事にサポートすることなのかもしれないな、と思います。
それに、考えてみたら「私と気の合う性格タイプ」というのは、私と同じで「ママ友付き合いとか難しい…、面倒くさい…、マイペースに引きこもりたい…」と思うような、他人との心の距離の取り方が長~いタイプ。
そもそもそういうタイプは、交流の場に参加しませんよね。
出現率の低い、レアな存在との出会いを求めているようなものなので、焦るのはやめようと思うようになりました。
前回の記事でご説明した通り、私は発達障害のひとつ、注意欠陥・多動性障害(ADHD)を抱えています。
脳の仕様により、どうしても人よりも不注意による失敗が多くなってしまう、そんな障害です。自分が自分のミスで困るならまだしも、自分のせいで他人に迷惑をかけてしまうことが、これまで何度もありました。
心から申し訳なく思い、同じ過ちを繰り返すまいと誓うのに、無意識や無自覚のうちに、「気づいたら失敗してしまう」。
完全に防ぐことは困難だと感じています。
自分なりに細心の注意を払っていても、それでも対人トラブルに発展することがあり、新しい人間関係を築くことに対して、必要以上に臆病になってしまっていました。
発達障害者に限らず、過去の対人トラブルがトラウマとなって、人間関係に苦手意識を持ってしまう方は、たくさんいらっしゃると思います。
私も「このままではいけない、自分を変えて、なんとかママ友を作らなきゃ!」と、ずっと焦っていましたが、私は私のまま、何も変わってはいないのに、何だかんだで環境が変わり、近所に子育て仲間が少しずつですが、増え始めています。
今にして思えば、肩に力が入ってしまって、体も顔も、そして考え方も、こわばっていたように思います。
ありのまま、自然体の自分でいたら、「類は友を呼ぶ」かもしれませんよね。
今は「こんな自分を、少しは認めてあげてもいいのかもしれないな」と思っています。
>>>次回のエピソード:ただ誰かに話を聞いてもらいたい…「いのちの電話」で張り詰めていた糸がプツンと…
著者:志乃
年齢:34歳
子どもの年齢:長女4歳
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