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退院の日にと準備していた服を着せ、赤ちゃんを見送った…。37週での予想もしない死産

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なんで、わたしなんだろう。なんで...この疑問が2年近く経った今でも消えません。

第3子目になる女の子を37週で死産しました。

上に2人、男の子と女の子を大きなトラブルなく出産していたので、なんの疑いもなく赤ちゃんが産まれてくるものだと思っていました。

 

あの日...37週を過ぎた夜中、なにか出たなぁと思い、トイレにむかいました。

座ってすぐにパチンッという音と共に、便器の中が血で真っ赤になりました。

自宅での破水を経験していなかったので、破水と共に出血したのかなと思って、すぐに旦那を起こし、病院に電話してタクシーで病院に向かいました。

電話したときにはお腹の中でまだ赤ちゃんは元気に動いていました。

 

病院についてからも出血は止まらず、看護師さんも、おかしいなと言いつつお腹にNSTをつける。

30分してから先生が来て、お腹を触った瞬間に「早期胎盤剥離だな」こう言いました。

赤ちゃんの心音が下がっていたそうで、すぐに緊急帝王切開の準備が始まりました。

どうしていいかわからず、ガタガタと震えだした

体を抑えることも出来ず、ただただ無事に産まれてほしい。このことだけを考えていました。

 

緊急帝王切開だったので、慌ただしく準備が進められましたが、なかなか手術が始まらず、あとで思うとこの時間お腹の中で、赤ちゃんはとても苦しんでいたんだなぁと思うと悲しくなります。

先生は、今から急いで赤ちゃんを取り出しますが、間に合わないこともあります。そう言って手術開始。

30分くらいした頃、赤ちゃんが産まれます!の言葉とともにお腹から取り出されましたが、赤ちゃんは産声をあげませんでした。

わたしの方から赤ちゃんの様子は見えなかったので、なにか起こってるかわからなかったし、無事であると信じていました。

 

赤ちゃんを取り出してから、麻酔が切れ始め猛烈な痛さに耐えていました。

1時間くらいして手術が終わりました。

 

終わってから元気な赤ちゃんが私のもとにくることはありませんでした。

先生から、残念ですが、赤ちゃんは...と言われた瞬間、どうしようもない感情が溢れ出し、手術台の上で号泣していました。

 

ただ追加の麻酔で意識が朦朧としていて、そのまま部屋に運ばれました。

その部屋が、新生児室の隣の部屋で、同じ日に出産した赤ちゃんの泣き声やお見舞いの方のおしゃべりがずーっと聞こえていて、辛かったのを覚えています。

 

意識を取り戻したときには、今度は傷の痛みと後陣痛の痛みで全く動けず、わたしが赤ちゃんと対面したのは11時間後でした。

その頃にはもう顔色は悪く、冷たく固まっている姿でした。

旦那とそんなに言葉を交わすことなく、ただ二人共涙を流しました。

まさかこんなことになるとは...普通に出産出来ることが、どんなに奇跡なのか、このときとても実感しました。

 

悲しんでいるのも束の間、早くも赤ちゃんの火葬日程を決めに葬儀屋さんが病院にきました。

赤ちゃんが亡くなったことが信じられないでいるわたしに、現実をつきつけてくる話でした。

赤ちゃんがキレイなままお空にいけるように、なるべく早い日にちを決めました。

 

産後のわたしも立ち会いたかったのですが、病院からの許可がおりず、旦那が一人で赤ちゃんを見送りました。とても辛かったと思います。

小さい棺の中に小さい赤ちゃん赤ちゃんには、退院するときに着せるはずだったお洋服を着せてもらいました。

そして、わたしが赤ちゃんのとき使っていたおくるみに巻いてもらいました。

むこうへ行っても寂しくないように家族の写真、手紙、おもちゃを一緒にいれてあげました。

 

とっても小さい骨壷に入って、赤ちゃんは私のもとに戻ってきました。

葬儀屋さんの計らいで、火が強くない朝一に火葬をしてくれたので、赤ちゃんの小さな小さな骨もきれいに残っていました。

今思えば、どうしてももっと早くに赤ちゃんを抱っこしてあげなかったんだろう、どうしてもっと一緒にいてあげなかったんだろう後悔ばかりです。

 

この出来事があってから1年半、私のもとにまた赤ちゃんがやってきてくれました。

悲しみを乗り越えたわけではないけれど、また赤ちゃんが私のところにきてくれて嬉しかったです。

7歳の息子は、うちは6人家族だよ。と言ってくれます。

著者:はる

7歳の男の子4歳と0歳の女の子がいます。

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