前回までのあらすじ>
無事に子宮口が全開になったものの上手くお産が進まず焦るさとう…
そこへ来ないと思っていたキラキラ担当医が現れたのであったー
記憶があまり定かではないが担当医は何か注射のようなものを股に打つと、それまでが嘘だったかのように全身が痛くなった。
「全身」である。
腰の奥の方をエンジンに全身がドルルーン!ドギューン!と稼働し始めたのでパニックに近い精神状態になった。
どうやら担当医が打ったのはお産が進む「何か」だったのであろう。
もんどり打って暴れ始める私をみて、担当医はサクッと会陰も切開。
エンジン全開になった私の体に会陰切開は痛くなかったわけではないが、それ以外の場所がそれ以上に痛かったので「それどころではなかった」という言い方が正しいだろうか…。
さとうはパニックになった。
とにかくめちゃくちゃ痛い。
それまでは英語で会話をしていたが、もう日本語の「痛い」しか出ないカラダになってしまった。
赤ちゃんに会えるという気持ちはほぼブッとんで、「とにかくコレを出してしまわんことにはどうにもならん」的思考に支配され、エンジンをさらに全開にさせた。
一応麻酔が効いている内に試行錯誤したおかげで、どの筋肉で押せば赤子を押し出せるかは分かっている。あとはもう押すだけなのだ!押すだけなのに一回一回が気絶級に痛いけど‼︎
ここまでくると「痛いの早く終わらせたい」と「痛くてくじけそう」のせめぎ合いである。
いとしさとせつなさと心強さで臨んだお産は今や「負けないで」や「最後に愛は勝つ」みたいなスポ根に変貌し、最終的にはクリリンを殺したヤツが分かった時の悟空みたいな感じになった。
今でもズルッと赤子が出た時の瞬間にほぼ全ての痛みが消え去ったあの不思議な感覚を覚えている。
そして目の前に赤子が見えた瞬間の「アッー!」と思ったのを。
それまで痛かったのは赤子を出すためだというのは頭では分かっている。しかし、その時の私にあったのは「天使がやってきて痛みを終わらせてくれた!」という感謝の気持ちであった。
もちろん生まれてきてくれての「ありがとう」もあるけれど。
そして窮地にさっそうと現れ、鮮やかな手さばきでお産を進めてくれたうちのキラキラ担当医に言いようもない感動を覚えた。
いつも時間にシビアなのはこういう時に動けるようにするためなのかも!などともボーッとした頭で考えた。
出産が終わってシアワセホルモンなるものがブワーっと出たせいのような気もするが、とにかくさとうは感謝の涙であふれんばかりになっていたのであった。
>>>次回のエピソード:美食大国ベルギーの「産後のお祝い膳」は、まさかの食パン2切れ!? 衝撃の産後食5連発 by さとえみ
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
著者:さとえみ
年齢:35歳
子どもの年齢:3歳5歳7歳
大阪生まれの大阪育ちで似顔絵師をやっていましたが、今はフランダース地方で白目むきながら三姉妹の母をやっております。日々の生活に追われながらも絵を描くことだけは忘れたくないと時間短縮のためにたどり着いたのはiPad miniでブログ絵を描くこと。考え方のまるで違うシロクマ似の旦那様と元気いっぱいの三姉妹に囲まれて、「パトラッシュ…もう疲れたよ…」と言いながらもブログを更新しております。
ブログ:フランダースの三姉妹
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