妊娠・出産・育児の情報サイト


34週に入って分かった前置胎盤。帝王切開で生まれた小さな我が子の授乳に大苦戦

f:id:akasugu:20160829164102p:plain

私は高齢出産で持病もあったので、大学病院での分娩を勧められましたが、32週頃までは通院に便利で待合時間も短い近所の個人病院で検診を受けていました。

なかなか性別がわからなかったこと、体調が不安定で妊婦健診のサイクルを考慮する余裕がなくて、大学病院への転院時期をグズグズしてるうちに、34週に入ってすぐの、受け入れ先側としてはギリギリのタイミングに転院しました。

 

持病の薬が飲めないことに寄る不調はあったものの、妊娠自体のトラブルは大したことなく、誰もが経験するようなことのみで、胎児も順調に育っていました。

毎日散歩したり、友人とランチしたり、のんびり過ごしていました。

 

大学病院での転院後すぐの検診時、担当医がエコーを見ながら小さく「あれ?」と言いました。そして、「何か、前の病院で言われませんでしたか?」と。

特に何も言われてこなかったため、不安を感じました。エコーの後、もっと詳しく検査すると言われ、何か良くない事実がわかったんだなと、思いました。

 

検査の結果は思いもよらないものでした。

 

胎盤が、子宮口の近くにあって、一部覆っているようだということ。

今日の検査ではこれ以上わからなかったので、後日MRIの検査が必要で、どちらにせよ自然分娩は不可能で帝王切開しかない。

しかも、大出血が予想されるので、輸血の準備として自分の血を貯めておいたほうがいい。場合によってはそれでも足りないこともある。出血の量は予想ができない。

胎盤が子宮に癒着していたら、生命維持のために子宮全摘する。

とにかく手術までは出血を避けねばならず、安静にすること。陣痛が始まる前で、胎児がそれなりに成長する37週に入ってすぐに手術する。

 

「今、手術日を設定しますが、もう時間がないので、今日血液検査をして、血を抜いても大丈夫か検査に回し、後日改めて自己血を採取します。明後日こられますか?」

 

全く予想していない事態だったので頭の中は真っ白ですが、帝王切開しかなく、それに向けて今日から準備しないと間に合わないということは理解できました。

理解するしかない、ということを、理解しました。

 

医師が説明しながら描いた子宮と胎盤の絵、その横に書かれた「前置胎盤」の文字。

見たことも聞いたこともありません。知らない病気は沢山あるんだろうなと思いました。

 

その時の医師の説明では、ベッドに寝たままというほどではなく、手術の前日に入院してくださいとのことでしたが、後日、小児科などの意見も踏まえ、1週間前倒しになりました。

そのため、退院後の新生児を迎える準備を整えつつ、入院準備をしつつ、MRI検査、自己血の採取、麻酔科医の説明を聞く、などの手術に必要なことをするために病院に通いました。

忙しい2週間でした。

 

私は妊娠や出産に関する本や雑誌をあえて読まずにいました。

先々のことを不安に思う方が良くないと感じたからです。

持病の症状を抑えるために服用していた薬は妊娠中は禁忌で、生理が遅れていることに気づいた4週目から一切飲んでいなかったので、気持ちを楽にすることだけを考えていました。

出産に関しては、これからゆっくり必要な情報だけ知ろう、のんびり出産後の準備を整えようと思っていました。あまりにも完璧に用意しすぎて、流産したら、悲しさも倍増するような気がしたからです。

服などは買わず、ミルクやベビーバスなどをセールのタイミングで買ったきりだったので、入院までの2週間は目まぐるしかったです。

ただ、全ての買い物はネット通販で済ませることができ、いまの時代でよかったなと思いました。

 

入院後は一転、暇になりました。

 

毎日、母は昼間、夫は夜に来てくれましたが、膨大なひとりの時間がありました。

「実家を片付けてたら出て来た」と弟が持って来てくれた本を読み返したり、ぼんやりテレビを見て過ごしました。

あまり、手術のことは考えないようにしました。

 

当日、手術室に入る前、途端に怖くなり、夫に抱きつきました。

なんとか涙は堪えましたが、看護師さんに付き添われて手術室エリアに入った途端、涙が溢れ出しました。

 

子供は無事に生まれるでしょう。

でも、もしかしたら、出血が酷くて、子宮を失うかもしれないのです。

なんとも言えない恐怖でした。

 結果的に3リットル以上出血したものの、止血できたので子宮は温存でき、術後の経過も良く、母乳も頼りないながらもでたので、万々歳でした。

 

けれど、37週で産まれた我が子は2700グラム程。

小さいから、うまく母乳を飲めないし、小さ過ぎて私もうまく抱けないし、授乳用のクッションを使っても姿勢が辛くて、深夜にいつまでも泣き止まなくて、授乳もうまくいかず、この子か自分が死ぬかしかない、という極端な感情が湧いて来ました。

マタニティーブルーになっていたようです。

 

出産時の病状によっては、持病の薬をすぐ再開することは再三主治医に説明を受けていて、その場合は母乳育児は不可能になるため、初乳があげられればいいし、母乳には拘らないようにしていました。

大学病院に提出した出産、育児についてのアンケートには、『できれば母乳育児がしたい』に、印をつけていましたが、何が何でも母乳育児、という気持ちはなかったので、あまり詳細を調べていませんでした。「病状によっては無理だから」と知ることを避けていたのです。

そのため、母乳育児の指導が思ったよりもキツく、負担になっていました。もちろん、ホルモンの関係もあったと思います。

 

数日間我慢しましたが、気づいたら夜中、泣きながら看護師さんに、手術が怖かったこと、子宮を全摘せずに済んだけど、怖かった緊張感が解けないまま、授乳のためにろくに眠れない、うまく授乳できなくて辛いこと等を話していました。

 

翌日から、深夜の授乳が辛い時、母乳では足りない時、看護師さんがミルクを飲ませてくれました。

眠れるようになって、母乳の出も良くなってきて、どちらかが死ぬか、と言った気持ちは消えて無くなりました。母乳が足りない時はミルク足せばいい、と思えるようになったことで、気が楽になりました。

 

本当の育児は退院した瞬間にはじまり、大変でしたが、夫や母の助けもあり、なんとか日々を過ごしています。我が子は生後3ヶ月が経ち、体重も7キロあります。

最初のうちはミルクを足す回数も多かったのですが、最近はほぼ母乳のみです。

はじめのうち母乳の出が悪くても、続けて授乳していれば出るようになることもあるし、ミルクを足すなど母乳以外のものを与えることが悪いことだと思わないでほしいです。

 

実は生後すぐ、二分脊椎の疑いがあるとのことでMRIの検査をした方がいいと言われました。つい先日検査結果がでて、問題はないとわかりましたが、股関節脱臼がしやすい状態なので、寝かせ方や抱っこの指導を受けました。経過観察のために来月も病院に行きます。

常に状況が変わり、一喜一憂しています。

でも、それこそが子育てなんだろうなと思い、臨機応変に、その時できる最善のことをするしかないと、思っています。

著者:ニム

結婚してからだいぶ年月が経ち、自然妊娠は難しいのかも、不妊治療をした方がいいだろうかと思い悩む毎日でしたが、夫婦ふたりでも仲良く過ごせればいいと思うようになった直後に妊娠。過去に卵巣機能不全でホルモン治療をしていたこと、高齢であること、持病があることから妊娠継続に不安があり、のんびり過ごすことを第一にノイズ排除に努めていました。今改めて読むと、妊婦向けの雑誌はノイズが多いと思います。

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。