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いきなりの妊娠

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私が妊娠していることがわかったのは、思春期の頃から母親と上手くいかず家を出てひとり暮らしを始めて間もなくのことでした。夜勤もある病院勤め、急性期病棟だったこともあり、とにかく動き回ったり力仕事をしていました。

ある夜勤の日、まっすぐの廊下がグルグルまわり気持ち悪くなって動けなくなりました。めまい持ちではないのでこの時から体調の変化に気づきました。不規則な生活を送っていたために生理周期に乱れがあったこともあり、この時妊娠の可能性を考え市販の妊娠検査薬を使って調べました。

すると、陽性反応が。突然のことで先のことなど何も見えてなかった時ですが、女として心から嬉しかったのを覚えています。そして、夜今の旦那に話しました。が、彼は当時大学を何度も留年してやりたいことも見つからないときだったので、「どうするん?俺は心からおめでとうって言えない」と言われ、わたしはどん底に落とされたように悲しく寂しく辛かったのを覚えています。できた子を守っていくにはどうしたらいいか、こればかりを考えていました。

その後彼には親に言ってほしいと伝えるもなかなか言ってもらえず、つわりが出始め寝込む毎日でした。仕事にいくのが本当に辛く吐き続けていたわたしに彼は自分のことでいっぱいいっぱいになってしまい、わたしを労ることはありませんでした。数日ご飯が作れていなかったせいか機嫌を損ね、仕事を休んで気持ち悪くしているわたしの隣で、カップラーメンや出来合いのハンバーグを食べられ更に気分悪くなったこともありました。

さまざまな彼への不満と未来がみえてこないことで、この人とは結婚は難しいと心に強く思い一人でこの子を育てていこうと思ったときもありました。とにかく、がむしゃらに働いてお金をため、彼には産むことを宣言し日に日に自分の体じゃないようにしんどくなる毎日でも頑張り続けました。お腹の中の赤ちゃんに無理が伝わっているんじゃゃないかと心配になりながらも毎日話しかけ、毎回の診察を楽しみに頑張れました。モニターで心臓がドクンとなっているのを見て感動でした。そして勇気をもらいました。苦しい時期ではありましたが、何も怖くないと強くなれました。ひとつの命の大きさをそこで知ることができたように思います。

するとある日彼が親に話してくれ、母子家庭でしたがお父さんまで集まり話し合い、沢山の問題はありましたが結婚出産と至ることができました。

仕事はつわりのピークを過ぎたあとも気持ち悪くなりやすく仕事はしんどかったですが、いきなりの妊娠だったため経済的に働かざるをえませんでした。だんだんお腹が出てくると周りが気遣ってくれ、患者さんも触ってくれたり、はなしかけてくれたりして、今思えば家の中にいるより何倍も幸せでした。周りのサポートがあったおかげで今のわたしがいます。よかった反面、看護補助だったわたしは常に立ち仕事でお腹が大きくなるにつれてできる業務が減っていきました。続けたくても同じように動けない、産後多忙な病棟に戻ってこれるかを考えた時にこれからの居場所はここではないと判断し妊娠7か月で退職しました。家計のためにも子供のためにも育休をとりたかったです。産休をとるまでのあと数か月を働けていればといつも悔しく思います。

この頃わたしの親には家を出たきり連絡とっていませんでしたが、報告という形で伝えました。すると、いきなりひとり暮らしの家に扉をたたいて押しかけてきたり、家に来いって言われ気分悪い中久しぶりに実家に戻ると再びぶつかり追い出され、また日を改めて押しかけてこられたりと何も話がまとまらないまま、関係も悪くなったまま疎遠になりました。

しかし、母側の祖母には会うことができ妊娠中に会いに行き報告をするとひ孫かと喜んでもらえました。一人でもこの子のことを喜んでもらえるのなら、あとはわたしがしっかり愛していこうと思ったのもこの時でした。

祖母に母とのことを伝えると、「今はまだお腹の中にいるから実感がないけど産まれてきたらまた変わるよ」と言われていましたが、結局産後も音沙汰なく未だに我が子を親と会わせてあげれていません。

退職してからの毎日はひたすらお腹の子とのんびり過ごしました。さまざまな問題を今の旦那と乗り越えたことで妊娠中に結婚することもでき、あとは母子ともに健康に安産を目指すだけだとマタニティーライフを謳歌してました。ひたすら毎日散歩がてら歩き、家から旦那の仕事場まで徒歩30分だったので終わる頃向かい、一緒に帰ったり旦那の休みの日は丁度秋だったので紅葉がてら色んな所に行ったり、温泉にいったり、美味しい物を食べたり夫婦の時間を楽しみました。

いざ、不規則陣痛が始まり家での待機。痛いながらも数時間寝れたり、あえて沢山歩いたり、家事したりしていつも通り生活を送っていました。すると、3日後の夜、規則的な陣痛が始まり、夜中も眠れずひたすら痛みに耐えていましたが、限界がきて病院に電話しました。入院セットを持って来るように言われ、いよいよだなと覚悟しました。旦那を起こすとパニックになって飛び起きました。

病院についてからは、なぜか痛みが和らぎ様子みているとどんどん痛くなっていき初産で心配でしたが、5時間で産まれて来てくれました。マタニティーライフは雑誌の写真のように穏やかでもなく、始めの頃は辛い日々でしたが、全て真っ白になった瞬間でした。この子と乗り越えたんだと、大きな自信に繋がり今育児奮闘中です。早くも1歳になり、可愛くて仕方がない毎日です。目にいれても痛くないとはこうゆうことなんですね。

1歳になった月から託児所付きの病院で数時間のパートに出始めました。一日中我が子といたくて離れるのが辛かったですが、託児所に入れておける約3年間は働けるいい環境だと思って今後の我が家の未来のために頑張っています。色んなことがありましまが、母になったわたしはまだまだ頑張っていきます。

著者:にこにこママ

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