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「育てにくさを感じますか?」 子育てはみんな大変!そう信じて 気付かなかった娘の発達障害 by なないお

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こんにちは。なないおです。

私はふたりの発達障害という診断の付いた子供たちを育てています。

私が第一子の娘を産んだのは30代後半。待望のかわいい我が子でした。切迫流産で入院はしましたが、その後は順調に育ってくれて無事出産。
当時、引っ越したばかりで周りに知り合いもおらず、なにもかも初めての子育て、頼れる物は育児雑誌くらいでした。

体験記をみてもそりゃあ育児は大変!って書いてあるものばかりでしたので、こんなものだろうと思いながら育てていました。

でも、うちの娘はどうも様子が違ったようです。

 

娘に見られた多動

前回、生後2週間でケリだけで3メートル移動したお話をしましたが、そこから次々と現れる娘の多動のエピソード。発達障害の同じ診断名をもっていても現れる特徴は様々ですが娘はそのほんの一例です。

ベビーベッドで眠りながら激しくパンチやキック!いつもボスに戦いを挑んでいました。5ヶ月で前歯が生え始めたら乳首におもいっきり噛み付くようになり仕方なくミルクだけに切り替えました。
つかまり立ちではなぜか尻もちを一切つかず、ぱたっと倒れるのでいつも頭をぶつけてしまいます。
ハイハイで移動を始めてからが本番。あっというまにたんすに登るようになって片時も目を離せなくなりました。

そのころ、ベビークラスに参加していたのですが、他のお子さんはみんなお母さんのおひざで楽しく手遊びをしているのに、うちの娘だけは一瞬も私のところにいません。
何度連れ戻してもハイハイで脱走し、いろんな人に愛想を振りまくって大声をあげていました。

歩き始めるともう本領発揮でした。

朝の6時には部屋の戸をバンバン叩き続け、店で商品を取ろうと娘から手を離せば一瞬で消え、レストランでは隣の席のものを食べようとする。とにかく動きがすばやい。毎日がスリルとサスペンス。

集合住宅はとても無理だと思い、賃貸の戸建てに引っ越してからは、カーテンはレールごと引きちぎる、暴れて網戸ごと庭に落ちる、ふすまは貫通して通りぬけフープとなっていました。家ごと壊しそうな勢いです。
ベッドで暴れて骨折する、椅子から飛び降りて骨折する、転んで生えたばかりの前歯を折る。怪我も絶えません。
病院に連れて行けばいつもお医者様の顔を見た瞬間に絶叫。お風呂も絶叫、歯磨きも絶叫、終わるまでずっと絶叫、この世の終わりのように泣き叫びます。毎日やらねばならぬことでこの状態ですから、いつご近所から虐待を疑われて通報されるのではないかとびくびくしながら暮らしていました。

遊んでいるときはきゃっきゃとよく笑うとってもかわいい子なんですけどね。  

 

食事は戦争

自閉症があると偏食のお子さんは多いのですが、娘は食べることが大好きで市販の離乳食以外はなんでも食べる子でした。

手作りしか受け付けなかった離乳食はいくら与えてももっとくれと欲しがり、 つかまり立ちが始まれば、料理は並べた瞬間からなんでもわしづかみで食べてしまうので一度に運ばないといけません。

はんぱなくこぼすので床に大きなビニールのクロスを敷き、皿はひっくり返したり投げたりするので吸盤でテーブルにくっつけていました。

全く座っていられないので、手作りの布ベルトで子供椅子に娘を固定していました。こうしないとまともに食事を取れる状態ではなかったのです。お食事エプロンをつけても全身どろどろ。毎食後に着替えをしていました。3歳過ぎまでこんな生活が続いた記憶です。

食事以外でも手の届くところの食べ物は全てキケン。炊飯器のご飯をわしづかみで食べるので保温もできない。豚肉の下味をつけて一瞬目を離したすきに台をもってきて上って取って生のままむしゃむしゃ。スーパーで買い物中にベビーカートから手を伸ばしたのか、気付けばなにかの葉っぱを握って食べている!

こんなことが山盛りありました。

 

しつけはしなかったのか

もちろんしてはいけないこと、危険なことは制止し教えていました。出来なくても何度も何度も繰り返し言い続けてきました。

育児書にあるように生まれたころから言葉をかけ、ベビーマッサージ、歌、絵本、毎日公園にお散歩などやれるだけのことはやってきました。

しかし、娘はまったく制止を受け付けてくれません。危険なことは言葉では止まらないので体を押さえ込むと全力で暴れて抵抗します。川や池など水があるところを見つけると走って突っ込んでいくので寸前でとめたことも何度もあります。

なにを言っても全く言うことを聞いてくれることはありませんでした。 それでも当時は周りに歳の近い子供がいなかったので、子供はこんなものだろう、まだ娘は大人の言葉がちゃんと理解できないのだろうと思っていました。1歳を過ぎてしっかりしゃべっていたにもかかわらず。

乳児検診で「育てにくさを感じますか?」という質問にも常に「いいえ」にマルをつけていたのです。

 

娘の違いに気付いたとき

娘が1歳半のころ、遠方から私の実家の近くに引越しをしました。娘より小さい甥がいました。その甥の様子を見たときに愕然としたのです。

娘と全く違う。

まだ0歳の甥は大人の言うことを理解し、ダメ!といえば手を引っ込めるのです。
妹が「赤ちゃんってまだしゃべれなくても大人のいうことがわかるんだよ」

衝撃でした。

その後甥が歩くようになってからも、なんと座って食事をしているのです。我が家では考えられない光景でした。

その時はじめて娘が「言葉がわかっていたのに無視をしていた」ことに気がつきました。娘はもう2歳。言葉には全く遅れがなかったのでべらべらとしゃべっていたのです。 大人の言うことがわからないわけではなく、言うことを聞く必要性がわかっていなかった、ダメといわれてもやりたいからやっていた。いくら理由を説明しても、衝動が勝ってしまう。

後にわかることですが、娘は注意欠陥多動性障害(ADHD)とアスペルガー症候群という診断がついています。ADHDは多動、衝動、注意力の欠如という3つの特徴を持っています。娘はその3つともバランスよく(?)揃っているタイプです。

ADHDや自閉症スペクトラムを含む発達障害は生まれながらの脳機能の違いだといわれています。ADHDは車に例えればハンドルとブレーキが効かない暴走車。自分でもコントロールすることが難しいのです。

しかし、ワクチンによるものだの、食べ物の影響だの、育て方の問題だのなにかしら後天的な原因があるのではという方もいらっしゃいます。 私の娘を見る限り、生まれた時から明らかに多動でした。

(ADHDの中にも不注意優勢型といって多動が目立たず気付きにくいタイプもあります)  

 

育て方をせめられる

娘がどうも違うということに気付きながら、それが障害によるものだとはまだ思ってはいませんでした。娘は育児書に書いてある通り、お座りをし、歩き始め、言葉も流暢にしゃべっていたからです。

激しく暴れる、座って食べることもできない、全くいうことを聞かない娘。 家族で私の地元にもどってからは、実の親から「しつけをしていないのか、どういう育て方をしているんだ!」と責められるようになりました。

息子の出産で入院をしている間、母に娘を預けていたのですが

「この子はもう預かれない」

そう宣言されてしまいました。妹の子供3人を世話してきた母に、私の子供は預かれないといわれたことはひどくショックでした。

ひとりで泣きました。悲しくて悔しくてどうしてよいのか途方にくれました。 そんなに間違った育て方をしてきたのか、私はできる限りをがんばってきたつもりだったのに・・・。

どんなに暴れてもかわいい私の娘。2歳までは叱り飛ばすこともなく育てていました。

しかし周りの声から追い詰められ、娘と私の関係はどんどん歯車が狂っていきます。

そこから発達障害という診断にたどりつくまでの2年間、娘と一緒に消えてしまおうかと思うまで追い詰められた地獄の日々が続きました。

支援につながり、娘には娘にあった育て方があると教えてもらうまでは。

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著者:なないお
年齢:49歳
子どもの年齢:娘11歳、息子9歳

発達障害を持つ子供たち二人を育てるシングルマザー。乳がんを患い治療中。頭の中をTwitterに垂れ流しながら復活の呪文をとなえています。

娘:明るくスパイシーなアクセル全開系女子。ADHD(注意欠陥多動性障害)、アスペルガー症候群。

息子:おだやかで刺激に弱いダジャレ数学少年。自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)

ブログ:うちの子流~発達障害と生きる

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