こんにちは、ユーラシアです。
赤ちゃんを無事にこの世に生み出した夜。
本来ならば幸せいっぱい、幸せの絶頂とも言えるはずの時間でしたが、
そう手放しで喜べる気分ではありませんでした。
むしろ、逃げ出したくて、でも逃げ道なんてどこにもないことが分かってるから、
目の前が真っ暗でした。
なんだか自分の体に子供が物理的に括り付けられたような、
入り口も窓もない狭い狭い「子育て部屋」に閉じ込められたような、
強烈な閉塞感を感じました。
そしてそこから一時的にでも解放されるのは、5年とか、10年とか先に思えたのです。
「一息つく」ことさえ、何年も許されないような、
先のまったく見えないトンネルに入ったような。
当時29歳、8ヶ月の妊娠生活をようやく終えた私にとって、
それは途方もなく長い時間に感じられて……。
私は実家こそ近いものの、両親現役共働きのため気軽に預けることは出来ないし、
近くに頼れる人もいません。
この時点では夫がどこまで頼りに出来るのか定かではなく、
ベビーシッターや家政婦さんなんて庶民の私にはあまり身近ではないし、
新生児や低月齢の赤ちゃんを預かってくれる場所はそうそうありません。
私の気持ちは塞ぐばかりで、
息子は天使のように可愛く見えていたけど、
同時に「私はこれからずっとこの子に尽くしていかなければいけないんだ」と
絶望すら感じました。
それまで「◯◯さん」と私を苗字で呼んでいた医師や看護師さんが
出産した瞬間から私を「お母さん」と呼び始め、
もう私には自分の意志とか自由なんてものはなく、
ただただ赤ちゃんのためだけに生きる
全自動赤ちゃんお世話マシンになった気がしました。
そんなとき、ある看護師さんが私の気持ちを軽くしてくれたのです。
この看護師さん、普段は担当が違ったのか、
入院中に2回程度しか会わなかったのですが、
退院後に自信が持てないという私に熱く話してくれたのです。
「裸足で手ぶらでいいから、赤ちゃんだけ連れて、うちに来なさい!
私がいるから!何なら自宅の住所も教えるよ!」
と力強く言ってくれたその看護師さんに、
私はとても救われました。
もちろん実際には預かってもらうなんて無理でしょうし、
私も真に受けた訳ではありませんが、
そんな風に言ってくれる人がいるということが嬉しかったのです。
少なくともここには味方がいるんだ、と思えました。
ただ、私は単純なので言葉だけで少し楽になれましたが、
根本的な解決には全くなっていないんですよね。
もう少し現実的に、
新米のお母さんが追い詰められないような解決策があればいいなと思います。
産後半年くらいは自由に利用できる「産後院」的な施設とか。
実際にそういった施設もあるみたいですが、もっと数が増えて一般的になれば、
産後うつとか育児ノイローゼとかに苦しめられる人が
多少は減るんじゃないかな~と思うのでした。
著者:ユーラシア
年齢:30歳
子どもの年齢:1歳5ヶ月
2015年4月に男児を出産。割とテキトーに育児しているオタクでナマケモノな専業主婦です。思いもよらなかった子供の可愛さ奥深さに驚く毎日の中、老後の楽しみにと育児に関する絵や文章をちまちま描いています。息子はいつも親指を吸っています。
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