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しつけが悪いと責められ、娘を責め続けた2年間、それは精神的虐待でした by なないお

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こんにちは。なないおです。

前回まで娘の多動エピソードを書いてきましたが、今回は発達障害の診断にたどりつくまでの道のりのお話です。

娘が1歳半のころ、どうも他の子と違うことに気付いたのですが、母子手帳に書いてあるような体や言葉の発達にも問題がなかったため、全く発達の問題は疑っていませんでした。

座って食事することも全く出来ない、危険なこともこちらの指示には一切従わない娘。 どうにかしてきちんとしつけなくては!と思っていました。

 

娘を激しく叱るようになったきっかけ

娘が2歳になった頃、息子を出産しました。

退院して実家に預けていた娘を寂しかったであろうとしっかり抱きしめ、息子をベビーベッドに寝かせ、荷物を片付けていた時でした。

息子が火が付いたように泣き始めました。慌てて行ってみると、目の周りが出血しています。娘が息子の顔を思いっきり引っかいたのです。

今まで一人っ子できた娘にとって、あとから現れた赤ちゃんにやきもちをやくのはよく聞くことです。それでも血が出るほど怪我をさせるのは許してはおけません。

今後のことも考えてきつく叱りました。それでもいつもどおり娘は知らん顔です。

しつけが悪いと責められていた母の手前もあり、無視をさせたままでおくわけにも行きません。

とうとう私の感情が爆発してしまいました。

初めて娘に対して感情的に怒鳴りました。娘はパニックで泣き叫びます。それでもごめんなさいというまで怒りを娘にぶつけ続けました。娘はそのとき、生まれて初めてごめんなさいを言いました。私に無理やり言わせられたのです。

そこから堰を切ったように娘を叱り飛ばす日々が続きます。

感情をぶつけることでしか、娘にしてはいけないことを教えることが当時の私にはできませんでした。言葉で言っても無視をする、体で止めれば全力で暴れる娘です。

この子には「あなたのしたことで母さんは怒っている」とはっきり伝えなければならないと思っていました。

ダメと言われたことはやめる、叩いたり人に危害を加えない、座って食事をする、歳相応にできるようにさせなければと必死でした。

第二子を出産後、すぐに40代に突入した私は体調を大きく崩しました。激しい眩暈と数ヶ月も続く微熱。病院でいろんな検査をしましたが原因がわからず耐えるしかありませんでした。

その間も新生児を抱えながら、娘は容赦なく暴れ怪我をしいろんな事件を起こしていきます。眩暈のため毎日這って子供の世話をしていました。娘は衝動性が高く、なにをするかわからないので目を離せば娘も息子も危険です。

もう限界でした。

子供をかわいいと思う余裕はなくなっていました。

娘に対して感情のブレーキも効かず、毎日怒鳴り散らします。精神的な虐待です。それでも全く出来るようにはならない娘。周りからはしつけがなっていないと責められる、感情をぶつければその場は謝ることが出来る、でも他にどうしていいのかわからない。

このままいけば手が出るのも時間の問題だと思っていました。それだけは思いとどまらねばとぎりぎりで耐えていました。

誰かに助けて欲しかった。どうしていいのか教えて欲しかった。  

 

もしかしてADHD?

あるとき、偶然テレビでADHD(注意欠陥多動性障害)についてやっていたのを見ました。あまりにも娘にぴったり当てはまります。もしかして娘はADHDなのではないか?そのときから少しずつ疑うようになりました。

娘が3歳半、検診があったのでこれは相談しなければ!と自分で別室相談を申し込み娘の状態やADHDのことを相談しましたが、その時の保健師さんの答えは

「障害ではありません。こういう性質なのでしょう。気にしすぎです。」

やっと、娘に対してどうすればいいのか糸口を見つけられるかもしれないと思った矢先にその希望がぶった切られました。当時は今ほど発達障害も知られていなかったし保健師さんにもあまり知識のない方もいらっしゃったのかもしれません。

プロの人にそういわれるのであれば、やはりしつけの問題なのだろう。私は今までどおり娘を叱り飛ばす日々をやめることが出来ませんでした。

そのうち、娘にある症状がでてきました。吃音です。流暢にべらべらしゃべっていた娘が、言葉の最初がどもるようになってしまいました。

私に怒鳴られながら、娘が泣きじゃくりながら言った言葉が今でも忘れられません。

「か・か・か・かあさん、だ・だ・だいすき」

なんとかしなければ。このままではいけない。それはわかっているのにどうすることもできない。私などに育てられても不幸になるだけなんだからこの子を連れて消えてしまいたいと何度も思いました。息子がいるのでなんとか思いとどまっていました。

そのころ、隣の区に引越しをしたため、巡回の保健師さんが自宅に来てくださいました。子供の様子と、今まで相談したことなどを話すと「紹介しますのですぐに専門医にかかってください」と言ってもらえました。

やっと、やっとこれでどうにかなるかもしれない。娘を育てられるかもしれない。

私はそういう専門のお医者さんがいることすら知りませんでした。どうにかしなければと思いながらもあまりの余裕のなさに視野が狭くなり、自分で調べて助けを求めることすら思いつかなかったのです。

数ヶ月の待ち期間はありましたが、専門のお医者さんにかかって、検査をし、娘はADHDとアスペルガー症候群という診断がつきました。娘が4歳の時です。

「ここまでよくがんばってきましたね」

主治医の言葉に泣き崩れたのを今でも覚えています。

がんばってきたのは娘のほうです。障害でできないことを毎日私に責められ耐えてきていたのです。

すべては、娘のせいでもしつけのせいでもなかったのです。

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著者:なないお
年齢:49歳
子どもの年齢:娘11歳、息子9歳

発達障害を持つ子供たち二人を育てるシングルマザー。乳がんを患い治療中。頭の中をTwitterに垂れ流しながら復活の呪文をとなえています。

娘:明るくスパイシーなアクセル全開系女子。ADHD(注意欠陥多動性障害)、アスペルガー症候群。

息子:おだやかで刺激に弱いダジャレ数学少年。自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)

ブログ【うちの子流~発達障害と生きる】URL:http://nanaio.hatenablog.com/

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