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お兄ちゃん

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「お兄ちゃんになりたい人!」暗闇の寝室。

私の問いかけに大声で泣きじゃくりながらも「あぃ!」と手を上げて意思表示する息子。

「だったら、チュッチュ(母乳)なくても頑張れるよね」と何十回も話聞かせ、母子共に寝不足が続き1週間。

1歳三カ月の誕生日、ついに断乳に成功しました。

時に1時間半以上も泣き続け、まるで息子にいじわるをしているような思いに駆られ、心が折れそうになった日々。

抱っこや子守唄であやしても泣き続け、体をさすり背中をリズムよくたたいてもむしろ逆効果。

「赤ちゃん扱いしないで!」というように体をキックされたり、腕をくっきりアザができるほど噛まれたりすることもしばしば。

搾乳して捨てるほど母乳の出が良く、保育園に入園するわけではないのに、断乳をせざるを得ない大切な約束が私たち家族にはありました。

 

「曾お祖父ちゃんはね、お相撲が得意で体がとても大きいんだよ。(主人の名前)と(私の名前)の子ですってちゃんと挨拶すれば、わかるから…。」

親として、今子どもにしてあげられること。

3年前、ひとり陣痛を待つ病室で、お腹に手を当てながら亡くなった親戚・家族を一人ずつ子どもに紹介しました。

最後の一人の説明が終わり、「お父さんと仲良く、泣かないで、必ず弟妹を作るからね」と子どもに誓った時、無痛分娩の麻酔が効いた状態の中、頷いたようにふわっと子どもが下りてくるのを感じました。

 

結婚して8年。終わりの見えない不妊治療を経て、やっと授かった命。戌の日詣りを目前に突然の心停止。

精神的に弱かった私は、死亡届の母親欄に名前を書くのが精いっぱいで、子どもの顔を見てお別れができませんでしたが、男の子でした。

泣かないと約束したはずが、小さすぎる骨壷を目の前にして、主人や家族の前では心配をかけるからとこらえるものの、一人になると涙があふれる日々。

夏だったので、その度に息子には「暑いからね、汗だよ、汗。泣いていないよ。」とごまかしていました。

 

それから2年。

同じ病院同じ医師のもと産声を上げたのが長男、私たち家族にとっては次男(以降息子)です。

息子がいるのだから、もうひとりを望むことは、こうのとりの飛来を待つだけではなく、私たち夫婦にとっては治療再開を意味し、体も経済的にも負担がかかり、贅沢なことかもしれません。

私に「お母さんになれる体だから大丈夫!」と命をかけて教えてくれた長男。

その長男の存在が大きく、まだ小さい赤ちゃんの頃から息子に「お兄ちゃんにもご飯あげようね。」「お兄ちゃんに行ってきますは?」などと位牌を前に伝え、新しい家族を迎える準備を着々としていました。

幸いにも息子と同じ時期にお腹の中で育った卵を体外受精させ、数個の受精卵を凍結して病院に預けていたので、受精卵の保存期限内にと治療を再会することにしました。

 

この日が来るまで協力してくれたので、息子にもわかるように「保育園に赤ちゃんのお迎えに行ってきます。」と私。

「一発勝負!頑張れよ。」と息子を抱きながら見送る主人。「バイバイ」と手を振る息子。

子どもは、どんなに医学が進歩しても、奇跡の連続から生まれる授かりもの。息子を出産してからこれで4回目。今度こそと、約束したあの時を思い出しながら、長年通う道を歩き、病院に向かいます。

「お兄ちゃん、お空で見ていてね。お母さん、頑張るから…。」

著者:みら

長年通院していたので、妊活はベテランでも、出産育児はまだまだ新米。一人目の息子がお腹の中で旅立ってしまいましたが、泣かずに前を向いて弟妹を作ると約束したので、現在第2子の育児に奮闘中。さらに第3子妊娠へ向けて、再度(不妊)治療再開予定です。

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