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忘れられない授乳室での話、そして今「この子が可愛い」。ダウン症の娘との3年半

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第二子の娘を出産後、退院直前に「ダウン症の疑い」があるという診断を貰いました。

確定診断が出るまでの1か月間、それはほぼ新生児期と同じだったのですが、その間に私が辛かったのは

「せっかく生まれてきてくれた赤ちゃんを、手放しで可愛いとは思えない」

ということでした。

 

娘について、とても育てられない、育児放棄をしたいといった風に思い詰めていた訳ではありません。可愛いな、と思う気持ちもあるにはありました。

けれどそれは、(今のところは医学的には健常児とされる)第一子の産後の初産ハイな親ばか状態、ずっと顔を見ていても全然見飽きない、なんてこの子は可愛い子なんだろう…というものとは、全く違う感覚でした。

娘の顔を眺めてみても、両親に似たところを探す前に、吊り目や二重まぶたといった、ダウン症児の特徴的な部分がどうしても気になってしまう。確定診断の前ではありましたが、夜中の授乳中に静かな薄暗い部屋で娘の顔をじっと見つめていると、きっとこの子はダウン症児なんだろうなと思えて、途方に暮れたような気持ちにもなりました。

 

ダウン症児の育児とはどんなものなのか、この先どう育っていくのかということについてはほとんど知識もなく、大きな不安がありました。

それでもとにかく「この子を育ててみよう」と思えたのには、産院で会ったAさんの存在が大きかったように思います。

 

お世話になった産院は基本的に母子別室で、日中は決まった時間に授乳室に集まり、皆で授乳をするというシステムになっていました。必然的に、入院期間が重なる他の母子とは何度か顔を合わせることになり、その中の1人がAさんでした。

 

同年代(30代半ば)のように見受けられたAさんは、私の2日後に出産されていました。

赤ちゃんに対して、とにもかくにも愛おしい! といった雰囲気が満点で、きょうだい児が見舞いに来ている様子もなかったので、ある日の授乳タイム、隣に座った時に、軽い気持ちで尋ねてみました。

「Aさんは、初めてのお子さんなんですか?」

「いえ、この子で2人目なんですよ。上にお兄ちゃんがいたんですけどね、2歳の時に、病気で亡くなってしまって」

 

思いもかけない返答に、私は固まってしまいました。しかしAさんは、少し困ったように小さく笑うと、こう言ってくれました。

 

「だから今、また赤ちゃんに会えて、本当、嬉しいなって。しんどいこともあるけど、子育て頑張りましょうね」

 

特に連絡先の交換もせず、退院後に近所でバッタリということもないので、その後、Aさん母子がどうされているのかはわかりません。けれど、あの時の会話は退院後にもよく思い返していました。

 

「ダウン症児だから」という理由で娘にきちんと向き合わず、手を抜いて育てたとして、もしも娘がある日突然に死んでしまったら、後悔せずにいられるだろうか?

虐待死のようなことを考えていた訳ではありませんが、そうでなくとも乳児の突然死や、あるいは不慮の事故という事態もありえます(逆に、私自身が突然にこの世を去ることだってあるでしょう)。

 

そうなってしまったら、やはりとても悲しいし、ずっと悔やむだろうな。

Aさんのおかげで、日常の中ではつい見落としがちな、そんな当たり前の事実に心を向けられました。

 

――とりあえずはやれるだけ、育児をやってみよう。

 

そんな風に思って、3年半ほどが過ぎました。ありがたいことに、娘は元気なダウン症女児に育ってくれています。

時が経つと別種の親ばか現象が起こるものなのか、娘の表情や仕草を見て、

「えっ、この子めっちゃ美少女やん!」

などと思ってしまう時もあります。くしゃっと笑った笑顔は、ダウン症者でなければ出せない魅力に溢れているな、とも思います。

ダウン症の特徴がある顔立ちをしていて、それで可愛い、それが可愛い。そんな風に思える瞬間が訪れるということは、娘の育児を続けていなければわからなかったように思います。

生きているからこそ、続けているからこそ見えてくるものもある。子供と一緒に生きられることへの感謝を忘れずに、この先も育児の生活を続けて行きたいと思っています。

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著者:Takoos
年齢:39歳
子どもの年齢:6歳・3歳
独身時代の海外在勤中に、福祉先進国な北欧の子育て事情を垣間見る。帰国後は関西と東海の狭間で、妊娠、出産、育児、在宅フリーランスと経験中。