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うまく言えなかった母の日の「ありがとう」。我が子を見て思う、私も、伝えなきゃ by うだひろえ

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去年のもの、一昨年のもの。

私の机の周りには、うちの子たちがくれた、母の日のプレゼントが飾ってあります。

園で作ってきた創作物。これらを私に渡しながら「ママ、いつもありがとう!」と言ってくれた顔、しっかり覚えています。

 

園で教わってきたことをやってるだけだとしても、「ありがとう」を言えるのって、すごいなあ、と思います。

 

私は、子どもの頃、「ありがとう」が言えませんでした。

 

感謝の気持ちを伝えること。

幼稚園や小学校で教わったとは思うのです。

でも、誰かに何かをもらって嬉しい時、親に「ありがとうは?」と言われて、言わされて、「ありがとう」と言っていたように思います。

言葉は知ってる。けど、うまく使えない。そんな状態だったのかなと思います。

 

小学校高学年の時でした。

どこかで、「母の日には、おかあさんに、何かプレゼントするものらしい」という情報を得た私は、造花のカーネーションと肩たたき券を用意し、食卓テーブルの上に置いておきました。

感覚的には、「いい子」になるためのクエストを1つこなした、という感じです。

 

満足した私が、子ども部屋でお絵描きしていると、母がやってきて、「コレ、ありがとね」私からのプレゼントを手に言いました。

「あー、うん」私は少し照れながら答えたと思います。

「でも、お母さんさ……」母が続けました。「直接、顔を見て、『ありがとう』って、言われたいな」

 

絶句しました。

「いい子クエスト」が消化できてなかったショック。

何より、母の、泣きそうな笑顔。そんな顔を見たのは、後にも先にも、この一度きりです。

私は何も返事できず、母もそれ以上は何も言わず、その時は終わりました。

 

1年後の母の日。

私は猛烈に緊張しながらも、母の顔を見ながら「いつもありがとう」と言い、プレゼントを渡しました。

母は、複雑そうな顔をしながら、「ハイどういたしまして」と答えました。

お互い、わかってたんだと思います。これって、「ありがとうは?」と言われて、言わされての「ありがとう」だな、って。

 

数年後。私は地元を離れ、上京して一人暮らしを始めました。

離れて初めてわかる、親のありがたみ、というやつで、私はやっと、心の底から「おかあさん、ありがとう!」と思えました。

それから十数年間、直接顔を見ることはできなかったけど、母の日には、鉢植えのカーネーションを送るようになりました。

 

一昨年、私は夫と子どもたちを引き連れて、地元に帰ってきました。

母の日。子どもたちは、園で作ってきた創作物と一緒に、「ママ、いつもありがとう!」という言葉をくれます。

園で教わって、言わされてるだけかもしれない。けど、単純な私は、こんなに嬉しい。

「どういたしまして!こちらこそ、ありがとう!!」

答えて、思う。私も、伝えなきゃ、だ。

 

近所に住む母に、会いに行く。子どもたちも一緒に。

「おかーさん、ハイコレ!いつもありがとうね~☆」プレゼントを渡すと、母は「ハイどういたしまして」とそっけなく受け取ります。

子どもたちが真似して「ばあばありがとー」「ばあばありがとー」と言うと、「今日は母の日でしょ。あんたたちのお母さんはそっちでしょ」

くるっと振り返り、ニコニコ笑顔で、「ママありがとー」「ママありがとー」「ハイどういたしまして!」

「ありがとう」でたくさんの、にぎやかな母の日。

 

言葉だけでも、知ってるなら、使っていけたら。

うまく使えなくても、使うことに慣れていれば、いつか、気持ちと言葉が混じり合った時に、まっすぐ伝えられるだろうから。

 

毎日たくさん、母の日は特別たくさん、使っていけたら、と思います。

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著者:うだひろえ
年齢:アラフォー
子どもの年齢:5歳と3歳

マンガ家/イラストレーター。愛知県生まれ。2008年『夢追い夫婦』(KADOKAWA)でコミックエッセイデビュー。『誰も教えてくれないお金の話』(サンクチュアリ出版/監修:泉正人)が30万部を超えるベストセラーに。5歳男児&3歳女児の子育てに奔走する生活を、ツイッターやブログで垂れ 流し中。

website:http://umeyon.net
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