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「絶対に赤ちゃんを助けて!」脚にできた無数の血栓が肺へ…母子ともに危険といわれて

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2年前の第1子妊娠中、私は妊娠28週の頃に周期的なお腹の張りが収まらず、当時通っていた産婦人科で診てもらったところ切迫早産と診断。

そのまま約1ヵ月半の安静入院生活が始まりました。

 

入院中は24時間の点滴と個室から出られない生活でストレスフル。

何度も泣いていました。

それでもお腹の赤ちゃんが1日でも長く子宮で育ってくれることを願って、なんとか36週まで過ごしました。

 

もう万が一産まれても、自力で呼吸もできるし大丈夫!とお墨付きをもらって退院。

次は出産の時に入院します!と元気に帰宅。

久しぶりに吸う外の空気が美味しくて美味しくて、感動したのを覚えています。

 

しかし、帰宅してまずはゆっくりお風呂に入ろうと服を脱いだ時、なぜか左の太ももがすごく腫れていました。

入院中はそんなことなかったのに、久しぶりに歩いたせいで浮腫が出たかな?くらいでさほど気にせず、2日後に健診日を控えていたため、その時に先生に相談しようと軽い気持ちでいました。

 

ところが次の日も左脚の腫れは引いておらず、むしろ足の付け根にすごく激痛が。

ネットで色々調べていると、大きくなった子宮が足の神経を圧迫しているせいでよくあることと出てきたので、仕方ないと思ってとりあえず安静に過ごすことに。

次の日、健診で先生に相談するとやはりネットで調べたことと同じ回答が。

赤ちゃんは元気で子宮口も大丈夫とのことで、とりあえず痛み止めの点滴をしてもらってその日は帰宅しました。

 

しかしその痛み止めもあまり効かず、帰ってきてからも激痛で立ち上がれないほどに。

何かおかしいと感じながらも、先生に診てもらったところだし…とお布団で寝て過ごしました。

翌朝、顔を洗おうと立ち上がろうとすると、またしても激痛。洗面台で立って歯磨きをすることも出来ないくらいで、さすがに我慢できず、病院に電話。

すぐに診てもらったのですが、あまりの痛みに耐えきれず、家にいても辛いのでそのまま入院させてもらいました。

 

もうこの痛みから解放されるなら早く産んでしまいたい。

そう思っていた矢先、先生が病室にやってきました。

先生の話では血液検査の結果、血栓の数値が異常に高いが、うちの病院ではこれ以上原因が分からないので、大きな総合病院に行って精密検査を受けた方がいいとのこと。今から救急車で行きましょうとのこと。

 

血栓?精密検査?救急車?

 

突然のことで何が何だか分からないまま、初めてストレッチャーに乗せられ、救急車で近くの総合病院に救急搬送されました。先生も一緒に付いてきてくれて、総合病院の先生に経緯を説明をしてくれました。

 

救急搬送先でまずは赤ちゃんの状態を診てもらったところ、赤ちゃんは元気に動いていました。

次に心臓内科の専門医に詳しい足のエコーを撮ってもらうと、なんと私の左脚は血栓でびっしり詰まっていました。そのせいで脚は腫れ上がり痛みを伴っていたのです。

 

個人病院でのお産は無理。このまま総合病院に入院して、37週を待って誘発分娩か帝王切開で早めに産みましょうと言われました。

 

個人病院で普通のお産を希望していたので、まさかの展開。

しかし当時は痛みに耐えられず、もう早く産みたくて仕方ありませんでした。

 

その日の夜中からだんだんと息苦しさを感じるようになり、朝方には苦しくて呼吸がうまく出来ない状態に陥りました。

詳しい検査の結果、最悪な事に足の血栓がその日の夜に肺に飛んでしまい、その詰まり具合が酷く、肺梗塞に陥っていました。

 

もう正産期まで待てないので、これ以上血栓が肺に飛ばないようカテーテル治療をした後、緊急帝王切開赤ちゃんを出します。

正直、お母さんも赤ちゃんも危険な状態ですと家族は言われたそうです。

その時の私は意識が朦朧とする中、最悪の場合母体を優先しますという先生の言葉にだけ反応し、「嫌!絶対に赤ちゃんを助けて!!」と泣き叫んだ事だけ覚えています。

こんな言葉、まさか自分が使うことになるなんて。

 

その後、カテーテルで血栓予防のフィルターを首から入れる処置の後、全身麻酔の緊急帝王切開で長男を出産しました。

体重は2700gを超えていましたが、36週4日の早産。普通は妊婦は受けてはいけない造影剤を使ったCT検査等を行ったため、NICUに入院することに。

私も一晩ICUに入ることになりました。夜中に目が覚めた時は、喉の乾きと傷の痛みで時間が経つのが物凄く長く感じました。

 

2日目に産婦人科に戻ってからやっと息子に会うことができました。

少し呼吸が安定しないとのことで、もう暫くはGCUで様子を見ますと言われ、保育器のまま連れてきてくれました。

たくさんのチューブに繋がれた息子を見た時、涙が出ました。

こんな姿を見たくないから、切迫早産の入院も頑張ったのに。

痛い思いをさせて本当にごめんねという気持ちでいっぱいでした。

 

一方私も酸素マスクを付け、今度は血液をサラサラにする薬を24時間点滴しっぱなしで治療が始まりました。

肺梗塞は年齢がまだ若い(当時26歳)ので、再生能力も高くこれから戻るとのこと。

後は足の血栓を薬でどこまで溶かせるかという状態でした。

この時の私は出産した後にも関わらず、浮腫のせいで体重増加。まるで土偶のように全身が浮腫んでいました。

もうこのまま体が元に戻らなかったらどうしようと不安で仕方ありませんでした。

 

それでも浮腫んでパンパンの足を引きずりながら、毎日GCUに通って息子にに会いに行きました。

母乳は血栓治療のため残念ながらあげることができませんでしたが、その後も完ミですくすく息子は育ちました。

 

入院から3週間後、やっと親子で無事に退院できました。

その頃には息子ももう他の赤ちゃんと変わらない程になっており、周りが新生児の中、1人だけ大きくなっていました笑

 

私はその後1年間血液をサラサラにする薬を飲み続けたものの、残念ながら足の血栓はもう溶けそうになく、そのまま残っています。今も走ったりすると息苦しさや足のむくみは出やすいですが、普段の生活は問題なく過ごせています。

 

そして今第2子妊娠中でもうすぐ臨月を迎えます。

今回の妊娠も血栓のリスクがあり、ヘパリン自己注射を朝晩2回打ちながら妊娠生活を送っており、帝王切開で出産の予定です。

著者:yasutomo

2015年5月に長男を帝王切開で出産。

2017年5月に第2子を出産予定。

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。