妊娠5ヶ月を迎えたある日、旦那が帰宅して一言。
「来月から転勤することになった…」
新しい勤務地は、新幹線や私鉄を乗り継いで4時間程かかる土地なので、引っ越しせざるをえません。
ただ、私はまだ仕事もしていましたし、産科が少なく激戦区の中、やっとの思いで徒歩圏内の総合病院で分娩予約を取ることができたので、今更別の病院で産む手続きを取る気力もありませんでした。
結果、旦那は子供が産まれて、ある程度育つまでは単身赴任することとなり、妊娠後期の私は、一人暮らしをすることとなりました。
妊娠後期の一人暮らしで、一番気を付けたことは、食事のバランスを崩さないことでした。
仕事から帰って、自分だけの食事を作ろうとすると、どうしても簡単なものになってしまいがちなので、野菜のおかずを3食分ほどまとめて作るなど、常備菜を活用していました。
その一方、会社の同僚と夕食を食べたり、休日は友人とランチをしたりするなど、最後の自由な時間を誰にも気兼ねすることなく満喫することができたのは、良かったと思います。
ただ、やはり実際に産む際には1人だと不安なので、予定日の10日前頃から実家の母に泊まり込みで来てもらいました。
幼い頃も、家では弟や妹がいましたし、仕事を初めてからは実家を出て1人暮らしをしていたので、もうすぐ母になるという時に過ごした、母と2人だけの時間は、とても特別なものでした。
そして、予定日を4日過ぎた土曜日の早朝、陣痛が始まりました。
離れて住む旦那にもメールを入れるも、休日の早朝なので眠っていて音沙汰なし。
旦那が気付いて、大急ぎで家を飛び出したのは、メールを入れてから2時間後でした。
その頃私は病院で、母に腰を押してもらいながら、一層強くなる陣痛に耐えていました。
その後しばらくしてから、新幹線に乗った旦那から2時間後に病院に到着するという連絡を受けた私は、「あと2時間もこの痛みに耐えられない!絶対旦那が来るまでに産む!」と思いました。
その思いが通じたのかは定かではありませんが、初産にしては順調にお産が進み、旦那が病院に着く30分ほど前に、無事に男の子を出産したのでした。
そして、退院後は子供と2人の生活が始まりました。
最初の1ヶ月は赤ちゃんを連れて外出することもままならないので、私は週に1度の生協の宅配サービスで1週間分の食材や日用品を買い込んで生活していました。
全く外に出ず、言葉の通じない赤ちゃんと2人だけの生活を続けていると、会話や言葉に飢え、テレビばかり観ている自分がいました。
ただ、旦那がいない生活はマイナスばかりだと思っていたのですが、完全に赤ちゃんに合わせた生活をできるのは、むしろプラスだったかもしれません。
旦那がいれば、決まった時間に起き、決まった時間にご飯を作らねばなりませんが、1人なので、赤ちゃんが泣けば起き、赤ちゃんが眠れば寝る生活を送ることができます。
実際、夜泣きをあやしながら、朝4時頃に赤ちゃんと共に寝付くこともしばしばでした。
そんな生活を6ヶ月続け、私は赤ちゃんと共に旦那の勤務地へ引っ越し、同居をスタートしました。
同居を始めて実感したのは、やはり赤ちゃんの成長を過程を夫婦で喜べることは何よりも大切だということでした。
やむをえず始めた赤ちゃんと2人の生活は悪いものではありませんでしたが、できることなら、今後は家族皆での生活を続けていきたいと思います。
著者:ユカリンゴ
年齢:33歳
子どもの年齢:1歳
32歳の時に男児を出産。旦那の転勤で、知り合いのいない初めての土地で子育てをすることになったので、子供と一緒に友達作りに奮闘中。
今は、息子に夜中起こされることなく、一晩ぐっすり眠ることができるようになるのが、ささやかな夢。
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