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無自覚のうちに「実家依存症」になっていた私。夫から離婚届を突きつけられて…

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初めて「緑の紙」とご対面させて頂いたのはある年の秋のことでした。

長男をその2年前に出産後、私の仕事や育児を優先するため、夫は自分の職場から近かったアパートを引き払い、私の実家に程近い場所にアパートを借りると決めてくれました。
結婚して一緒に住み始めてから程なくして、夫は部署の異動があり、普通の日中の仕事をしていた私と、夜勤がある交替勤務で不規則な生活に変わった夫。もちろん生活リズムの違いも出て、かなりすれ違いの生活になっていきました。


家事、育児に仕事と、当時の私は日々の生活に一杯一杯で、実家の助けなしには生活していけませんでした。実際、長男は育休からの復帰後、保育園には入れずに実家の父母・祖母がみてくれていました。そんな実家との関係が当たり前になっていたのですが、夫は少しずつ「自分の存在意義」が分からなくなっていったと、後で言われました。

私も何か相談事があった時、夫は疲れているだろうな・・・と思って実母に相談をしてみたりと変な気遣いもしていました。これが見えない所で少しずつ少しずつ、夫と私との間に溝を広げていったのです。

 

ある時突然、夫から「離婚したい。疲れた。俺って要らなくない?」と言われ、本当に驚き言葉を失いました。


私は自分でも無自覚のうちに「実家依存症」というやつになっていたようなのです。

実家と私との関係が夫に疎外感を感じさせ、体調を崩すまでに追い詰めていた事も全く気づきませんでした。きっと私は「自分が楽」だから、当時の環境が「自分にとって最善」だから、夫のことなど見ようともしていなかったのかもしれません。

出産してから、どうしても息子のことが何より1番になってしまっていて、息子と同じくらい大切に愛情を注ぐべき夫の存在をないがしろにしてしまっていました。

「離婚届」が登場するまでにも、何度も何度も謝って、話し合いをして、数ヶ月は別居もしました。数キロ体重が落ちたり、その年は誕生日を迎えても何歳になったのかも忘れるほどでした。人生で一番辛い時間だったと思います。

それでも、子供のためにも私のせいで絶対「パパ」を失ってはいけないと・・・何度もめげそうになりながらも、話し合いました。


その後、実家とは会う頻度を極力減らし、物理的な距離をとるために引越しもしました。かなり時間はかかりましたが、少しずつ関係が戻ってきたところで、なんと長女を授かることができたのです。

少し前までは「私達はもうダメだ」「どうやって1人で子供を育てていこう・・・」なんて考えていたので、本当に信じられませんでした。

一度は離婚を考えるほど、夫は私のことが大嫌いになっていたので、彼に愛情を求めるなんて到底無理だと思っていましたが、夫から「愛してるし、感謝もしてる」という言葉がまた聞けた時、自然と涙が出ました。


母親にとって子供の存在ほど尊いものはありません。でも、その大切な存在は「夫」がいるから存在しているんです。

毎日の中で忘れてしまいがちな「お互いへの感謝の気持ち」をしっかり伝えていきたいと改めて思います。

 

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著者:yuuuut!!
年齢:29歳
子どもの年齢:3歳5ヶ月、4ヶ月

チョコレートとコーヒーとパン依存症の専業主婦です。マイペース長男と、穏やかな長女、ゲーマー冷静主人の4人家族。もう少し娘が大きくなったら、温泉旅行でも行きたいな~なんて夢を膨らませています。パンを焼いたり、お菓子を作ったりするママに憧れを抱いています。自分がそうなるのは、もう少し先のお話になりそうです。

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