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発達障害についての私の考え~子どもは可能性の塊!我が子を信じること~

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息子は1歳半検診のときに言葉の遅れを指摘されました。

意味のある言葉は1語も出ていなかったし、絵を見て「ワンワンはどれ?」と聞かれて指をさすという検査は一つもできませんでした。でもこの検査はできない子も他にたくさんいたし、言葉にしても1歳半の男の子の場合なにも喋れなくてもそんなに問題になることはないと思います。

行政の保健師の方から「2歳まで様子を見てもいいですが、もし希望があれば行政が行っている週1回の療育に参加してもらうこともできます」と言われました。

これは病院で実施されている療育とは少し趣が異なり、同年代の集団の中で遊びや身体を動かすことを通して発達を促すという目的と親同士の情報交換や不安の軽減のために行われているものだということでした。

息子と同じような指摘や、行政の療育参加をすすめられているお母さんは、私の他にも相当数いたように記憶しています。

 

昔に比べて今は発達障害についての研究が進み、保育園や学校でも対応が検討されていることから、行政でも早め早めの対応をしているのかなと思いました。

保健師の方は「この年齢では、正直まだなにもわからないしもちろん診断もできません。でも早めに対応しておけば損になることはなにもないです。療育は発達障害のお子さんでも、そうでないお子さんでも、どちらにもプラスになります」とも言っていました。

それでも、9割がたのお母さんは、うちは結構です、様子を見ますと断っていました。
どちらかというと、1歳半でなにがわかる、なんでこんなこと言われなきゃいけないんだ、という空気のほうが強いように、私には感じられました。ですが私は、行政の療育に参加することをお願いしました。

正直なことをいえば私だって、まだ1歳半の息子になにかの疑いをかけられているような不快な気持ちを感じたのは本当です。でも私の場合は、早期療育ということについて考えさせられる要素が他にあったのです。

 

それは主人のことでした。主人はもともと少し独特の人だな~とは思っていたものの、それでも他の男性にはない稀有な部分も多くあり恋愛結婚をしました。

結婚してから、なんともいえない違和感を多く感じるようになり、そしてそれは子どもが産まれてからはより顕著になりました。違和感を感じるのに比例して喧嘩も増え、夫婦としての信頼関係も揺らぎはじめたころ、主人は職場での人間関係のストレスや仕事のうまくいかなさも重なり、異常なまでに怒りっぽくなってしまいました。その相談のために訪れた心療内科で、主人は自身の発達の問題について指摘されたのです。

大人であることと、本人自体に困っている感じがなく、医師の言うことを全く受け入れることができなかったため、なんらかの診断名がつくということはありませんでした。医師も、はっきりこれだといえる、決め手になるような検査結果はないのですが・・・と前置きしたうえで私にはこう言いました。

「全体的なことを総合するとなんらかの発達の問題を抱えてきたタイプだろうとは思います。就職や結婚を契機に判明することも多いですし・・・。はっきりしたことは言えませんが、想像力に関してのみいえばアスペルガー症候群の方よりもかなり悪いです。あとは自分でも自分の感情がよくわからないようで、共感が乏しいです」と。

それから息子は行政の療育に通い始め、最初は戸惑いながらも集団の中で周りに合わせることや、遊びを学び楽しく通っています。私はそんな息子を見ながら、あることに気が付きました。

私の心の問題です。気が付けば私は、息子の中にどうにかして発達障害ではない要素を探したい、育児にそんな目線しか向けられていなくなっていたこと。
それが苦しくて、少しも子育てを楽しめなくなっていたこと。息子の個性すら、なにかに当てはめようとしてしまっていたこと。

私の宝物に、そんな関わり方しかできなくなっていたこと。息子に申し訳なくて、本当に自分を責めました。

 

最近は本当に発達障害のことが取りざたされることが多くなってきたと感じます。書籍にもネットにも情報が溢れていて、不安の中で孤独な育児をしているお母さんも多いのではないかと思います。

私も、主人に対しての違和感から、息子にもそういう目を向けてしまい、ほんの少しでも平均の発達から外れることに全く寛容になれない時期が長くありました。

でも今はこう思っています。

発達障害は親からの遺伝だということがよく言われていて、私自身もそれに悩みました。でも「遺伝」というとちょっとニュアンスが違っているような気がするんです。「遺伝」というより、単に「似てる」ってことなんじゃないかなと。

当たり前ですよね、親子なんだもの。気質や体質、似ますよね、ある程度は。その似ている気質・体質的なものの中に、俗に言われている発達障害の特徴的な気質があるということは、別に不思議でもなんでもなく、また特別なことでもない。

親が社交的でないなら、子どももそんな感じ、みたいな程度のことの一つに過ぎないのかなって。
ただ、発達障害で困ったことになる場合というのは、著しく社会性や他者への興味のようなものが欠如、または薄い場合であって、これはこの日本で成長して社会人になるということを考えると(一般的な職業に就くと想定して)、単に本人が苦労してしまうのではないかと思います。

「本人も周りも困らないようにするにはどうしたらいいのか」発達障害かそうでないかにこだわるよりもそのことを一緒に考えていける親でありたいな、と思うんです。

要するに、発達障害的な要素があっても、その要素が強く濃く花開くかどうかは環境や、なにを教えてもらってきたかによるのではないかと考えています。

そして子どもというのは、どんな子でも吸収する力が大人の比ではないので、早めにその傾向に気が付いたなら、少し気を付けたり教えてあげればいいんだろうなと。

性格傾向の問題もあるし、人と同じことができないからって、人付き合いが苦手だからってダメだなんてことはないのです。

人に迷惑をかけない、人の嫌がることをしない、なんていうのはどんな人にも共通したことで、それをすこし習得しにくいなら繰り返し教えていけばいい。習得しにくさのベースに、他者の気持ちを推し計ることの苦手さがあるなら、そこを無理に克服させようとするんじゃなく「人の気持ちに鈍い自分」を自覚できるようにしてあげたらいいんじゃないか。

 

発達障害は、その人の人生を決めてしまうようなことではないと私は思います。苦手得意は誰でもある。性格だってみんなそれぞれに偏ってる。興味だってもちろん偏ってる。社会性スキルの低い人だってたくさんいます。

自分をわかっているかどうか。
社会の中で、自分の役割や立ち位置を認識できているかどうか。
そして素直であること。

人といることのよさは、そういう姿勢の中でしか感じられないものではないのかなと、自分の経験から思っています。だからもし息子に発達障害的な要素があったとしても、育て方、関わり方がいちばん大切で、そして、息子が自分のことを「大切な自分」だと思えるかどうか。

人を大切にする気持ちは、まず自分を大切に思えなければ生まれませんもんね。
そう考えるようになってからは、ずいぶん気楽になりました。

この先のことは、もっと年齢を重ねたり、保育園などの集団生活の中に入ってみないとどうなるかなんて誰にもわかりせん。
だからあれこれ悩まず、息子の人生のシナリオを勝手に作らないようにしたいなと思っています。

何があってもかわいい私の宝物。息子とのかけがえのない毎日を、もっともっと楽しみたいなと最近は心から思えるようになりました。

どんなことがあっても、息子の可能性を信じて、応援できる親でありたいです。

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著者:meshu
年齢:43歳
子どもの年齢:2歳

不育症治療の果てに、待望の我が子を40歳で出産しました。妊娠中は深部静脈血栓を発症し長期入院、出産も緊急帝王切開で、まさに命がけになってしまいましたが、子どもを授かれたことは人生最大の喜びでした。更年期にさしかかりつつある身体に鞭打って、息子と日々楽しく暮らしています。

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