こんにちは。tomekkoです。
前回に続き長男の出産のお話です。
フードコートで陣痛に無言で耐えながらハンバーガーセットを完食し、病院へたどり着いたものの、初産ということもあり、コトはそうスムーズには運びませんでした。
病院に着くとすぐにモニターをつけられ、ドックドックという心拍を聞きながら待つこと1時間…
痛ーい内診もして、あぁいよいよか〜!産むのはもっと痛いんだよなぁ…とドキドキしながらも覚悟を決め始めていたその時。
助産師さんから告げられたのは
「tomekkoさん、コレ前駆陣痛だわ」
ええええええ⁉︎ こんなに痛いのに⁉︎ こっちはもう産む覚悟決めてんのに⁉︎
ずっと陣痛のピークが1分続かないのでどうもおかしいな、とは思っていたのですが、まさかの前駆陣痛…
ということで、最初の痛みから半日以上経った午後、ワタシはスゴスゴと家に帰されたのでした。。。
なんという気まずさ…
みんなから国旗振って盛大に見送られたのに戦地に着く前に玉音放送聞くことになった兵隊さんのような。。。
今生の別れ並みにクラスのみんなからお別れパーティーしてもらったのに引越先が学区内だった小学生のような。。。
なんとなく出鼻をくじかれた感を隠せない実母と夫に付き添われ、がっくりと帰宅したのですが。
その間も痛みはずっと続いており…
イヤやっぱり痛い‼︎痛いーーーーー‼︎
耐えているうちに、急激に間隔が2分まで狭まってきました。
え?これも前駆陣痛なの?だとしたら本格的すぎやしませんか?
もう2回目の帰れコールは恥ずかしすぎて本当にイヤだ…でも前駆陣痛っていつまで我慢すれば終わるんだ???
そうこう言ってるうちに限界を感じ、タクシーに飛び乗りました。
自宅にいた時間は1時間もなかったと思います。
こんなことなら病院で待機していたかったよ!
しかーし‼︎ 入院したからといって、いきなり分娩室には行けないなんて…知らなかった‼︎
まだまだ子宮口も3センチ程度、赤ちゃんが降りてくるようにしっかり運動しなくてはなりません。
夫に付き添ってもらいながら、薄暗い病院の階段を1階から5階まで、上ったり降りたり。。。1階ごとに踊り場でうずくまって陣痛にむせび泣きながら、何十往復したことでしょう。
その後も、陣痛室でスクワット、バランスボールと、夜10時くらいまで何の苦行かと思うぐらいの運動量。
そんな苦行の末、ようやく子宮口も開いてきて、いざ分娩台へ‼︎
しかしそっからがまた…長いのなんのって。
夫にテニスボールでお尻を全力で押してもらい、実母からは水分補給。(アレ?そういえば実母って立会う予定に入れてなかったけど…?←どうやら強行突破した模様)
時々意識が遠くなり、三途の川も見た気がします(イヤホント)。
そんなこんなで分娩台乗ってから6時間。
いきんでいいよ、と言われたものの力入れるとこも分からず助産師さんの
「tomekkoさん!そこじゃなーーーーーい‼︎」
という叫びはなんだかはっきり覚えています。
そして1月4日の朝4時、長男は産声を上げました。
第一印象は…
新生児、ガッツだとはよく聞くけど、お世辞にも可愛いとは言えない紫色のつぶれたカエルみたいな顔に、若干引いてしまった新米両親でした。
でも、きれいにしてもらった後に夫がカメラを向けると奇跡的にニコッ!
これがその年の我が家の年賀状になり(実父がスピード印刷!)受け取った人たちを驚かせたのでした。
そんなこんなで無事生まれた長男でしたが、その後新生児黄疸が出てNICUへ入院。
三が日ということで休日&夜間の割増と、長男の入院費。。。
退院の日、お会計で出したクレジットカードを持つ手が震えたのは言うまでもありません。
人生で一番、幸せだけど懐は冷え切ったお正月のお話でした。
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
著者:tomekko
年齢:35歳
子どもの年齢:長男5歳、次男1歳
4歳差の兄弟に日々育てられています。次男誕生を機に、インスタグラムでこそだて絵日記を始めました。ビッグベビーの次男に体力を奪われ、マイペースな長男に精神力を奪われながらも、絵を描く時間が最高の癒し。
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