こんにちは。長男の卒園式を終えて当分先までの涙を使い果たしたtomekkoです。
もう5月の出産用の涙は残ってない…‼︎
3月の年長さん最後の行事や卒園式でしっかりと歌ったり話したりしている様子を見てきて、保育園に通った5年間だけでなく、生まれた時からのことが本当に頭の中を走馬灯のように巡っていきました。
3074gで元気に生まれたと思ったのに、すぐ新生児黄疸でNICUへ入院した長男に、母子同室できず涙しながら搾乳を届けた日々。
退院後は、とにかくよく飲みよく眠り、どんどんまんまるになっていく優良児でした。
今思い返せばなんの悩む必要もなく、とても育てやすいありがたい長男にずいぶん楽をさせてもらったはずなのに、「初めての育児」というだけでいっぱいいっぱい、育児書片手に自縄自縛になっていたワタシには
「3時間おきに目覚めて授乳することになってるのに5時間も寝てしまってる…!」
「こんなにまんまるな顔になって良いのだろうか…肥満児になってしまうのでは?」
なんて一喜一憂どころか良いことまで全部不安に感じてネット検索魔になっていました。
あの頃、純粋に我が子の可愛さ、愛しさだけに目を向けてあげられていたら…とつくづく自分の生真面目さを呪いますね。
6ヶ月頃からは、教えてもいないのにクッションの車の柄に興味を示し、そこから今もずっとレーシングカーが大好き。
メーカーやら車種やらをどんどん覚えて当てるようになった2歳頃は本気で天才かと思っていた親バカです。(だいたい3歳まではみんな天才さ)
赤ちゃんのころから変わらないこともあれば、今とは全然違うところもありました。
今は人見知りの恥ずかしがり屋で自分から友達を作っていくタイプではありませんが、赤ちゃんの頃は公共交通機関などで目が合った相手が不機嫌そうにしていても、根負けして思わず微笑んでしまうくらい、誰にでもニコニコと微笑みかける子でした。
きっとその頃いつも眉間にシワ寄せてピリピリしていた、とてもじゃないけど社交的ではなかったワタシと、世間のかすがいになってくれていたのだと思います。
よく考えたら、ワタシよりも長男の顔を覚えていて声を掛けてくれた人が、今でも心から頼れるママ友になっているし、彼の穏やかな性格のおかげで周囲からも
「長男くんならいつでも預かるよ」
「大変な時は習い事一緒に連れてくから言ってね!」
などと温かい声を掛けてもらえています。
長男なくしては、絶対にワタシ1人の力では作れなかった絆だと思います。
今はだいぶ心にも余裕ができて、若いころには得意じゃなかった友達付き合いも少しはうまくなったと思いますが、それは長男から教わったり、見習ったりして成長させてもらった部分なんですよね。
大きくなるにつれ、どんどん求めるレベルが上がってしまい、ついつい叱責や注意ばかりになってしまっているけれど…
月並みですが、「とにかく、ただ元気で生まれて来てくれたら十分」と祈っていた妊娠期間。
「このまま健康に育ってくれさえすれば」と思いながら寝顔を見つめていたこと。
卒園する子どもたちのしっかり前を向く凛々しい顔立ちを涙で滲ませながら、母になった頃の初心と、そしてここまでたくさんの経験をさせてくれ、人としての厚みを持たせてくれたことへの感謝を胸いっぱいに思い出させてもらいました。
この先も、試行錯誤する中できっと我が子の成長過程にモヤモヤしたり、もどかしくてつい責めてしまったりもすると思います。
そんな時、子育て=自分育てであることに立ち返り、子どもたちと同じ目線で共に育っていける母でありたい、と襟を正す春になりました。
著者:tomekko
年齢:35歳
子どもの年齢:長男5歳、次男1歳
4歳差の兄弟に日々育てられています。次男誕生を機に、インスタグラムでこそだて絵日記を始めました。ビッグベビーの次男に体力を奪われ、マイペースな長男に精神力を奪われながらも、絵を描く時間が最高の癒し。
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