今年は大厄年、どんな1年になるのかヒヤヒヤのグラハム子です。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
結婚して6年になりますが、今だに義実家に行くときは、やっぱり少し気を張って行きます。「男にとっての上司は、女にとっては姑だ」なんて言葉も聞きますが、まさにそう。言い得て妙だなと思います。
>前回エピソード:「もしかしたら今日が最後の手を繋ぐ日になるかもしれない」初めて感じた、寂しい成長の姿 by グラハム子
とはいえ義実家は遠いので、会うのは年に数回だし、干渉してくるタイプでもないので、今まで特に嫌な思いをしたり、トラブルになったことはありません。関係は良好な方だと思います。
ただ、過去に1度だけ。ちょっとお義母さんをピリッとさせてしまったことがありました。それは第一子出産時のことです。
話は妊娠中に遡ります。
子供の名前、悩みますよね。
わが家も例外なく悩みました。私の希望もあるし、でも夫の希望もあるし、夫婦の意見が上手く噛み合ったと思ったら今度は漢字や画数でまた悩んだり・・・実に難航しました。
それでも予定日までにどうにか候補を3つにまで絞りました。
そして可愛いわが子が誕生。
ここでもまた意見が合わず、悩むことなってしまいました。
出産したばかりで身体もまだ辛く、慣れない入院生活と育児で不安な毎日。 大部屋だったので周りのママさんたちがどんどん赤ちゃんを名前で呼ぶのが聞こえてくる中、うちはまだ「赤ちゃん」としか呼べない寂しさ・・・
産後の情緒不安定さも加わり、すごくナーバスになってしまいました。
そんな時、お義母さんが産院に来てくれました。
その場の空気を凍らせてしまったのが自分でもわかりました。
でも、それくらい嫌だったのです。
今思い返せば、何をそこまで殺気立ってしまったのだろうと思いますが、でも当時は産後のホルモンのせいか、とにかく嫌でした。絶対に自分と夫で名前を決めたい!!この子は私たちの子だ!!と、些細なことでも許せない精神状態でした。
でもお義母さんはそんな私の気持ちを察してくれたのか、それ以上名前について話題にすることはありませんでした。今更ながらあのときは、すごく失礼な態度をとってしまい申し訳なかったなと思います。
産後1ヶ月が過ぎ義実家に行ったときは、何もなかったように温かく歓迎してくれました。
そんな、もう5年前の、ちょっとだけ胸に刺さっている思い出なのでありました。
ちなみに名前ですが、結局退院時もまだ決まらず、提出期限ギリギリまで夫婦で悩んで決めました。そしてあんなに悩んだ末の名前のはずなのに、今ではこの名前以外なかったんじゃないか、ってくらいしっくりきているから不思議です。
いつか子どもが「この名前で良かった」と思ってくれたら本望です。
著者:グラハム子
年齢:30代
子どもの年齢:4歳と2歳
いたずらっ子で元気いっぱいな兄妹に振り回されているお母さん。堅あげポテトと甘いコーヒーが好き。 家族が寝たあと夜中にインスタグラムで育児絵日記を描いています。
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