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羊水過少、子宮内胎児発育不全から無事出産に至るまで

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安定期に入り、初めて3Dエコーで診てもらえるということで、主人も初めて診察室に同席した日でした。

 

その回だけは大学病院の専門の先生が担当するということで、前もって助産師さんから、寡黙な先生だから性別とかの質問も出来ないかもしれないとは聞いていたのですが、エコーをみたままずっと無言の先生に違和感がありました。

すると、しばらくしてから、常勤の先生はいないかと焦る様子で、ますます私たちは不安になりました。不安は的中し、「羊水が殆ど無い状態です。胎児の腎臓が二つとも確認できません。腎臓がなければ、お母さんのお腹の中である程度育つことはできても、出産後は生きていくことが出来ないに等しいです。母体保護法で中絶できる期限があと1週間しかないので、どうされるか話し合って下さい」と告げられました。

楽しみにしていたエコー写真ももらえず、一気にどん底に叩き落とされた気分でした。帰りの車内は、主人と無言で手を握りあい、涙を堪えるのに必死でした。

私の答えは決まっていました。何故なら、胎動を感じていたし、過去に流産を2度経験している為、堕胎という選択はなかったからです。主人も、その気持ちを尊重してくれました。

 

この日から、私たちは、ポッター症候群という腎臓が無い胎児異常の存在を知り、ネットで情報収集に明け暮れる日々を過ごしました。私は、先生からは羊水を増やす方法は無いと言われていたものの、少しでもお腹の中の子が長く生きられるようにと、藁をもすがる思いで、麦茶を毎日2リットル飲み、安静に過ごしました。

翌週の健診時も状況は変わることなく、初孫を楽しみにしてくれている実母へ意を決して電話で伝えました。その日はたまたま、脳梗塞を患い、何年も寝たきりの祖母の付き添いをしているとのことでしたが、気丈にふるまってくれました。

祖母はひ孫を楽しみにしていて、倒れる前までは100歳まで生きると言っていた人でした。その夜、祖母が夕方息を引き取ったと母から連絡がありました。私は、直感的に、祖母がお腹の子を守ってくれたんだと思いました。翌週の法事では、お経の間、胎動を激しく感じ、きっと大丈夫と言い聞かせていました。

 

その後の健診で、羊水が増えていると言われました。担当の先生は涙を流していました。その後、私の勘違いと不注意とで、2度も夜間救急で診察を受けることとなり、それぞれ別の先生から『腎臓がちゃんと二つとも存在している』と診断されました。恐らく、何らかの事情で傷が出来て羊水が漏れだしてしまっていたものが修復され、胎児の排尿で満ちたのだろうということでした。

立て続けての夜間救急受診で、主人には迷惑をかけてしまったけれど、嬉しい結果を聞くことが出来て、安心して眠れるようになったのを覚えています。一ヶ月もの間羊水が殆どない状態だった為、肺形成に異常があるかもしれないと心配の種はつきませんでしたが、平均曲線未満だった体重等が回を重ねる毎に少しずつ平均ギリギリに乗るまでに成長していく様子が嬉しくてたまりませんでした。

 

ずっと逆子状態だったので、帝王切開予約となり、手術日を決めた翌朝、ドバドバッと破水し、病院に到着してからわずか1時間後には手術室、37週0日での緊急帝王切開で女児を出産しました。最後まで心配されていた肺呼吸でしたが、元気な産声を聞くことが出来、異常ありませんでした。元々小さめではあったので、1972グラム、低血糖で直ぐに未熟児室入院となりましたが、ミルクの飲みっぷりがよく、二週ほどで無事に退院し、今では倍の体重です。

腎臓が無いからと堕胎を勧められてその通りにしていたら、こんな幸せな気持ちを味わうことは出来なかった。色々な病気が存在しているなかで、無事に産まれてくるということ、こうして健康で暮らせることのありがたさを教わったので、貴重な経験をさせてもらったと今では思っています。

妊娠中は只でさえ不安が付き物ですが、自分とお腹の子を信じて、出来ることをしてみて良かったと思っています。(逆子なおしは失敗に終わりました)それから、この子のおかげで、祖母を毎日想うことが出来ています。初孫を抱かせてあげることは出来なかったけれど、きっと天国から見守ってくれている、そう思っています。

著者:MA

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