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家族3人で乗り越えたお産だったからポジティブになれた

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入籍して結婚式、ハネムーンを経て、すぐに初めての妊娠をしました。妊娠が確定して間も無く、妊娠初期から絨毛膜下血腫による出血で自宅安静。そして出勤できない間にありがたいことに昇進しました。昇進でさらに頑張らなければならないという気持ちと、トイレに行くた度に下着に付いた血液で落ち込みました。

出勤してはまた出血をして自宅安静の指示。そして周りの些細な言葉や行動に傷ついて泣いてばかりいた毎日でした。

 

安定期を過ぎたあたりから出勤もできるようになり、少しずつ大きくなっていくお腹や胎動を感じ、夫もお腹をさすってくれたり、浮腫んで辛い脚をマッサージしてくれたり、毎朝車で職場まで送ってくれたりと献身的にサポートしてくれました。

 

無事に産休に入り、39週5日、おりものに血液が混ざるようになり、そろそろかな?といつ出産になってもいいようにと準備をしていました。しかしなかなか産まれることなく、毎日友人や親戚から「予定日過ぎたのにまだか?」などと聞かれるようになり焦る日々でした。

 

よく聞く早く陣痛がくるというジンクスをいろいろ試したりもしました。もう明日で出血し始めて1週間経つなという日の夜、夫と出産のことは一旦忘れて楽しもうと、徹夜で海外ドラマを観ながらワイワイ話して、やっとベッドに入りました。

 

それから1時間後、なんだか下腹部に痛みがあり、お腹でも壊したのかとトイレに行くと下着が真っ赤になるくらい出血していました。いよいよかな?でも、すぐ治るし、前駆陣痛かもしれないし、陣痛だとしても病院には5分間隔になったら連絡をと言われていたので、夫も起こさず、時間だけ確認してまたベッドに入りました。

ウトウトとしたところにまた下腹部痛。時間を確認すると10分程度。また横になって再び腹痛を待ってみました。すると次は9分。どんどん短くなるため少し不安になり、陣痛かもしれないと主人を起こしました。最初の腹痛から1時間過ぎた頃に5分間隔になり、病院に連絡して夫の運転する車で行くことになりました。

 

3時に病院に着き、内診すると子宮口3センチの開きがあり、「お昼頃には産まれるでしょう」とのことでした。病院に着いた頃から、陣痛と陣痛の間も辛くてトイレも食事もままならず、常に夫に腰をさすってもらってました。

 

朝方、看護師の資格を持っている助産師を目指す学生に、見学や処置をさせてもらえないかという申し出がありました。私も医療に携わる仕事をしてますので、痛みで余裕がないものの快諾。内診は学生さんと助産師さんと2人で行うため、「早くして!」と後悔した時もありましたが、学生さんも一生懸命に腰や脚をさすってくれていました。

 

昼を過ぎても子宮口は7センチからなかなか進まず、胎児も回旋方向を間違えているということで、分娩室に移動して陣痛促進剤を投与することが決定。しかし、私の血圧が高いため、少しずつしか点滴できないということでした。陣痛の合間にも赤ちゃんが骨盤を通ろうとしているのか、骨が広がる感覚が痛くて痛くて辛かったです。けれど、赤ちゃんも出てくるために頑張ってるんだ、無事に赤ちゃんが出てくれば痛みはなくなるんだからそれまで頑張ろうと考えると、自然に痛みを堪えられました。夫も学生さんも一生懸命に私の痛みを和らげようとしてくれていました。

 

促進剤を投与し始めてもなかなか子宮口が広がらず、赤ちゃんが出やすくするためと、膀胱内の尿をカテーテルで出したり、人工破膜をすることに。破膜すると「赤ちゃんの頭が見えたよ!髪の毛は濃くもなく薄くもないかな」と教えてくれました。それを聞くとへこたれそうな気持ちも持ち直して頑張れそうでした。途中で尿や便をしてしまったようですが、学生さんや助産師さんたちはテキパキと処置してくれていました。

 

いきみ逃しも我慢できなくなってきた頃、周囲がバタバタし始め、私に酸素マスクを装着され、医師も登場。「いきんでいいよ!」と指示が。しかし、赤ちゃんの心拍が落ちてきたということで、吸引することに。医師から「次の陣痛が来たらいきんで!そのタイミングで吸引するよ!」と言われましたが、今思えばその頃には飲まず食わずだったので意識が朦朧としていた気がします。

何回目かでドゥルっとした感覚があり、なんだか体が楽になった瞬間、「赤ちゃん、産まれたよ!」と医師の声と赤ちゃんの産声が聞こえてきました。19時に2886グラムの男の子を出産しました。約18時間かかってようやく息子に会うことができました。

 

産まれたばかりの息子の声は、すごく大きく元気な泣き声でした。妊娠中は出血や人間関係、マイナートラブルと色々ありましたが、痛みからも解放され力が抜けていき、今までの辛さなど全く忘れてしまうほどでした。赤ちゃんの診察があるからと別室に移動しても、息子の泣き声は大きく聞こえてきて、思わず笑ってしまったほどです。

 

私の処置では医師が「膣壁が裂けている」や何度も「お尻に力入れてみて」など言われながら、丁寧に縫ったりしているようで、時間がかかっているようでした。会陰切開していても違う方向に大きく裂けたのもあって、出血量は1000ccを超えていたようでした。

 

処置が終わり夕食を食べていると、医師から「赤ちゃんの血中酸素濃度が上がらない。大抵、数時間経ったら上がってくるのだが、わずかに下がったままだ。呼吸も荒い。すぐにNICUがある病院へ搬送しようと思う」と言われました。あんなに大きな声で泣いてた息子が大丈夫じゃないわけない。すぐ戻ってくるだろうと私は信じていました。息子は主人の付き添いで救急車で運ばれていきました。私は、昼過ぎには病院に来ていた家族に、私の無事の報告と息子の搬送について電話で説明し、尿道カテーテルを挿入され車椅子で病室に移動しました。

 

夫から連絡きたのは日付が変わる頃で、「分娩時に胎便を吸い込んだ恐れがあり、肺炎を起こしていると思われる。1、2週間の入院が必要だろう」との説明のようでした。

翌日からは私は他のママさんとは離され、事前に渡されていた入院スケジュールは使用しない生活でした。時々、助産師さんや学生さんが様子を見に来てくれましたが、私は落ち込むことなく、人よりも育児の前に時間をもらったんだ。それまでに体力を戻して、準備ができるなんてラッキーなんじゃないかと思えました。

 

息子に母乳を届けるために3時間おきの搾乳と、いつ育児が始まってもいいように動画で沐浴の仕方を教えてもらったり、自分の体の回復に努めました。そして、仕事が終わって帰ってきた夫と一緒に、息子に会いにNICUのある病院へいくという毎日でした。

 

大きく縫った会陰が痛く歩けなかったり、出血による貧血で顔色が悪かったようですが、息子に会えるならと自然に頑張れました。

 

約1日ぶりに会うNICUの息子は、点滴、酸素、ミルクを胃に入れるための管などに繋がれて保育器に入っていました。顔は管とそれを固定するテープなどで半分ほどしか見えていない状態でした。しかし、その姿は私からはものすごく可愛らしく、愛おしいものでした。他の赤ちゃんたちと比べても息子は体格が良く顔色もいいように見えました。NICUは24時間看護師さんが管理してるので、息子を見ていてくれていたため、安心して任せられました。

 

産後は近くの実家に戻って過ごすことにしました。私は予定より早く息子がいない状態で退院して実家に帰りましたが、それでも一緒に久し振りに過ごすことになる実家で子育てをいきなりするよりも、私が一人で実家の環境を整えて息子を迎えられると前向きに考えられました。

息子は、酸素マスクが外れたり、保育器から出たり、点滴が外れたりと日に日に目に見えて改善し、入院して10日で退院することができました。

 

それまで主人は職場から私の実家とNICUと自宅を毎日行き来してくれてました。後に聞いた話ですが、陣痛で痛がる私にずっと付き添い、腰を押さえ続けたため、1日で体重が1キロ減っており、全身筋肉痛になってしまったようでした。

 

こうして、それぞれ3人共に頑張って乗り越え、今では息子は大きく育って何も問題なく過ごしてます。そして昨日、保健所であった4ヶ月健診に、お産の時に出会った学生さんがたまたま実習で来ており、元気な息子の姿を見せることができました。

著者:よこ

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