こんにちは。野原のんです。
自分の情けなさと何一つ満足に出来ない惨めさ、そして後悔と自分のキャパの狭さに暗闇へ落ちていくばかりだった前回。
もう嫌だ。全部やめたい。逃げ出したい。
1人になりたい。
数えきれない程そう思いました。
でも、じゃあ投げ出せば?全部放り出せば?そう言われると答えはNO。
どんなに辛くてしんどくても、自分が全てを放棄すると言うことは子どもたちの生命の危機を意味するから。
それだけは絶対にしてはいけないししたくないからこそ、どんなに暗闇にいたとしても踏ん張るしかなくてそれがまた重荷のようにのし掛かってくる…。
この頃は他の人の子育てを目にするのも嫌で、それまでよく買っていた育児雑誌やおもしろいと見ていた育児漫画なども全て捨てて故意的に触れないようにしていました。
旦那にポツリと呟いた事もあったんです。
「もう、辛い」
と…。
でも、その時に返ってきた言葉は「俺かてしんどいて」でした。
「仕事して付き合いして、家帰ればお前にあれやれこれやれ要求されて、少しぐらい自分の時間くれや」
一言呟いた弱音が、何十倍もの嫌味みになって返ってきたんです。
旦那に何か特別な行動を求めて吐き出した弱音じゃなかった。
ただ一緒に受け止めてほしくて、ただそれだけの気持ちだったけどそれすら目の前で叩き落とされてその場で泣き崩れました。
泣いた私に旦那は
「しんどいのなんか分かってたん違うん?それでも産んだならやるしかないやんけ」
そう言って1人寝室へ行きました。
思い返すたびにハラワタが煮え繰り返りますがこの時はもう絶望感しか無かったのを覚えています。
旦那も、この時は転職前で仕事が不規則で朝も夜も無かったので常に余裕が無くてイライラしていたのも大きい要因でしたね。
そんな暗闇どん底な生活を送っている最中、この後の私と生活を一変してくれる言葉と出会ったのです。
それは、誰にも言えない辛さをひたすらに抱えながら過ごしていた年の瀬でした。
年末の帰省をどうする?と実母から連絡が入ったのです。
もともと実家へ帰省する予定だった私が帰省時期どうしようか迷っていると話しをしていた時、ふいに母が「なんかあったの?」と聞いてきました。
「声が元気ないよ。風邪でもひいた?」
その言葉に涙があふれました。
顔を見たわけでもなく、何かを言ったわけでもない。ただ普通に一言二言会話をしただけなのに、母はそれだけで変化に気付いたんです。
突然泣き出した私にも母は何も言わずただ私が話しだすのを待っていてくれました。
ポツリ、ポツリと子育てがしんどいんだ。自分が何も出来てなくて苦しい。自分は母親になるべきじゃなかったのかもしれない…と嗚咽と共に話す私の言葉を、うん、うん、と聞いてくれて
そしてこう言ったんです。
そこから母は、自分の後悔を話してくれました。
仕事ばかりで子どもたちを構ってあげられなかった事、ほったらかしで何もしてあげられないまま手が離れてしまった事、他の家の子は当たり前にあるものを我が家では与えてあげていなかった事、その影響で少なからず恥をかかせた事、そして
毎日怒ってばかりいた事。
それは私にとって思っても見ない事ばかりでした。
仕事が忙しかったけど家にいる時はいつも相手をしてくれていたし、お弁当や休みの日の外出、本読みなど沢山手をかけてくれていたと感じているし、
うちは他の家とは違うなと思う部分はあったけど、でもそれがうちのやり方なんだと思っていたからそこを責める気なんてないし。
そして、私は母が言う程怒られてばかりだったという感覚は全くなかったんです。
母の言葉に返すように、そう告げると
「そんなもんなのよ。親と子はきっと」
そう言って母は笑いました。
「いっちゃんも、ニジくんも、ちゃんと元気に育ってる。のんはよく頑張ってるよ。」
母のその言葉は、私が後ろめたく感じている事全てを許して受け止めてくれているようで、それでいて母も母の中では後悔をしながら子育てしてきたんだという心強さを感じられる言葉でした。
そして、母はこう言いました。
心がスーっと軽くなりました。
本当に、人生ではじめての感覚でした。
暗闇に光が差すっていうのはこういう事なんだとその時全身で感じました。
そして、一気に今の私の『細かい事は気にしない!元気で笑っているならオールオッケー!』精神の子育てに近付いた瞬間でした。
著者:野原のん
年齢:アラサー
子どもの年齢:小4(長女)・小2(長男)・2歳(次女、三女の双子)
関西でフリーダムな子どもたちをフリーダムに見守りつつ、漫画やイラストを描いているオタク主婦。子育てのモットーは「気楽にいこうぜ何事も」
・Twitter :@non4nohara
・ブログ:それキツネやで!のんfour育児