俗に言う『安定期』。
悪阻もなかったし、お腹の張りを指摘される以外は順調にきていた。
24週ラスト、お医者様から言われた言葉は、『仕事、休んでください』だった。
確かにお腹は張ってはいたが辛いわけでもなく、子宮けい管の長さも短いながらも
無理をしなければ特に問題ないと言われていた。
だからこそ衝撃だったが、子供の命が第一優先。
会社にも事情を話し、1日で引継を行い、休みに入ることとなった。
そこから自宅安静で2週間強、お風呂も2日に1度に減らし、トイレ以外は極力動かないようにした。
ところが27週3日目…その日は午後くらいから何となく生理痛のような重さが続いた。
痛みの波があり、間隔が多少頻繁だったけど、前駆陣痛ってやつなのかなと軽く考えていた。
あと2日したらまた病院に行くし、その時に聞けばいいかなとも思っていた。
しかし痛みは全く引かず、夜中は殆ど寝られなかった。
「あれ、これ、もしかしてまずい…?」
朝、受付開始には大分早かったけど、意を決して電話した。
「あの…1分おきに痛みがあるんです。昨夜22時くらいから少し痛みが強くて…。歩けないほどじゃないんですけど…」
電話に出た助産師さんが声を少し荒げる。
「何でもっと早く電話しなかったの!!すぐ来てください。交通手段はある?」
「歩いて10分位なんですけど…歩いていって大丈夫ですか?」
とのんきに聞く私。
「ダメです!タクシーつかまえて!!」
10分の距離でもだめなんだなぁ…。
でも、元々里帰りする予定だったから陣痛タクシーも登録していない。
そこから主人を起こして2人で電話をかけるも、生憎の雨。
早い人たちは通勤時間に入っていく時間帯だからか、タクシーは全くつかまらず…。
助産師さんも何回か確認の電話をしてきてくれ、最終的に歩いていくこととなった。
いつもはサクサクと歩いていける病院なのに、途中強い痛みがきて何度も立ち止まり、陣痛だとやっと自覚した。
病院に到着し座ったところで電話対応してくれた助産師さんがきてくれた。
「これ、陣痛ね。すぐに検査をします」
27週と4日。
あまりにも早い陣痛の知らせ。
すぐに内診が始まり、医師は看護師に待合室で待っている主人を連れてくるように伝えた。
「ご主人、あのね、奥さんもう子宮口全開なの。でね、多分赤ちゃんねギリギリ1キロあるから、このまま産むことになると思います」
「え?」
普段あまり感情の起伏がない主人でさえ動揺していた。
医師の言葉は続く。
「だけどね、このまま赤ちゃん産まれても小さいからNICUに入ることになるんだ。うちは設備がないから、今から搬送先を探しますので」
陣痛って痛いんだよな、耐えられるかなぁ~…なんて、妊娠がわかった時に漠然と感じていたけど、覚悟も出来てないまま痛みはどんどんやってきた。
それからモニターをつけられて、張り止めを直接注射で入れられる。
助産師さんがアドバイスしてくれる。
「お母さん、あのね、赤ちゃん小さいからいきんだら出てきちゃうからね。
痛くなったらゆっくり深呼吸しよう、そう、上手だよー。
手にも力入れないでね。目も開けようね、私のほう見て。
うん、そうそう。吸ってー、吐いてー」
そこからすぐに救急車がきたものの、搬送先がなかなか見つからなかった。
どの位時間がたったのかわからないが、搬送先が見つかったと告げられる。
既に歩くのも辛く、救急隊の方にストレッチャーに乗せてもらった。
搬送先までの距離もわからず、陣痛がこれ以上辛いのか、搬送先まで子供は産まずに耐えられるのか、何より子供は無事に産まれてくるのか…。
不安が押し寄せてきたが、主人が隣にいることだけが不安を少し和らげた。
だが、救急車にも定員があり、何と主人は病院までタクシーでくることに。
救急隊の人以外に医師と助産師の方が同乗した。
その間も30秒痛みが続いて、30秒痛みが和らいでの繰り返し。
痛みはどんどん増していた。
お尻のあたりを鈍器でどんどん叩かれているような感覚で、何度も「もう産まれる」と思った。
その度に助産師さんが呼吸をあわせてくれたり、尾てい骨のあたりを押してくれた。
この尾てい骨のあたりを押すという行為、知識としては知っていたが、だいぶ痛みが逃げていく。
途中、破水していないかも何度か確認された。
恐らく20分くらいは救急車に乗っていたであろうか、救急車が減速していきストレッチャーがおろされる。
そのときの振動でさえもこたえる。
救急隊がどこへ連れて行ったらいいのか話をしている。
「病室へ連れて行ってください」
嘘でしょ…こんなに痛いのにまだ分娩室に行けないとかある?
私もう耐えられないんですけど…という言葉は口には出せず、若干の絶望感を感じながら運ばれる。
「え?こっちじゃないですよ、分娩室ですよ」
病棟フロアで看護師さんが答える。
よ…良かった。分娩室へ行けるのか。
分娩室に運ばれ、ストレッチャーをおりて分娩台に移動できるか聞かれたが、痛みにはめっぽう弱い私。
しかも昨日から眠れていないから体力は尽きそう。
正直に移動できないと告げ、ストレッチャーの四隅を救急隊の方と看護師、助産師の方がもってくれて移動。
ワンピースを着ていたので、着替えずにいこうか、となり、それまでつけていた張り止めの注射を抜かれ採血をしながら名前や何回目の出産なのか等を聞かれてヘロヘロになりながら答えた。
私は自然分娩のときも医師が取り上げるものかと思っていたが、私の足元には助産師さんがスタンバイしていた。
「先生、破水させていいですか?」という助産師さんと医師の会話が何回かあり、突然太もものあたりに温かいお湯のようなものがザーッと流れる感触がした。
これでやっといきめる、と思ったが、破水をしたらお腹のはりが和らいでしまった。
尾てい骨のあたりを押される感触はあるのだが、さっきまでの「いきみたーい!!」という強い感覚が薄れてしまったのだ。
「いきんでくださーい」
助産師さんが言ってくれるけど、そもそもさっきまでいきむのを逃し続けていたからうまく力が入らない。
痛いから声は出るけど、声しか出ないのだ。
張り止めの薬もまだ抜けきっていないのかもしれないという会話も聞こえてきた。
「お母さん、この音聞いて。赤ちゃんの心臓の音だよ。頑張ろうね」
ドク、ドク、ドク、ドク。
元気な心音が聞こえた。
だけど、3回目くらいのいきみの時に赤ちゃんの心音が弱まった気がした。
「お母さん、もう次で出すからね?」と声をかけられる。
やばい。このままじゃ赤ちゃんが…。
ただでさえ小さいのに。
次はもっと頑張らなくちゃ。
でもどうやって…?
医師が手をつっこみ引っ張り、
お腹も助産師さんに押され、
股に何かが挟まっていたような感覚がふっと消えた。
「お母さん、最後軽くいきんでね…はい、もういいよぉ」
1,089グラム。
分娩室についてからは30分くらいだと思う。
自宅近くの病院で「陣痛だ」と体感するまで陣痛と気づかなかったから、あっという間の出産だった。
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
著者:ちぃ
去年の9月に第一子の男の子を出産しました。
早産だった為、そこから3か月子供は入院で、殆ど毎日病院に通いました。
去年の年末に無事退院でき、今は育休中なので子供に24時間スパルタなご指導をいただきながら育児に奮闘しています♪
※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。